3883声 リアルの在りか

2018年07月02日

水野暁ほどの欲深い絵描きを、僕は他に知らない。

 

 

水野さんと知り合ったのはもう12年ほど前になる。僕が通っていた日本映画学校では「ドキュメンタリー実習」というものがあり、後輩たちが中之条町へやって来た。水野さんは取材対象の一人で、学生と水野さんとを繋げる手伝いをした。水野さんを知る人はご存知のように、彼は物腰穏やかで優しい。学生たちは取材の枠を越えて彼と親しくなり、撮影から11年経った今も彼の展示があるごとに群馬まで足を運んでいる。

 

高崎市美術館で開催された「水野暁ーリアルの在りか」に、水野さんを取材したKさん等と行った。水野さんが4歳の時に描いたという浅間山の噴火の絵を見ては「これ取材の時に、水野さんが昔描いた絵を撮りたいって言ったら、出してくれました」とKさん。彼女たちが作った短編ドキュメンタリーでは、水野さんの両親まで登場し「息子は昔から虫と、絵を描く事が好きで」と話す微笑ましいインタビューがあったことを思い出す。

 

そしてその4歳で描いた小さな浅間山の隣には、4年の歳月をかけて描いた近年の大作「The Volcano-大地との距離について/浅間山-」が並並ならぬ存在感を放っていた。この絵を見るたびに僕は「これは生き物だよな」と思う。超近距離に見れば油彩の一筆一筆の集合体であることがわかるが、4歩も下がればそこには写真以上に生々しい迫力をもった大地が現れる。その存在感にはきっと、費やした4年の歳月も関係しているのだと思う。写真は一瞬を捉えることしかできず、映像は例え4年間撮影して編集しても瞬間瞬間を並べたものでしかない(それぞれにそれぞれの良さはあるものの)。けれど彼の絵では4年もの歳月が1つの絵として凝縮されている。それと対峙して僕が感じるのは、もはや絵を見ている感覚ではない。脈打つような生き物と向き合っている感覚である。

 

 

「写真みたいだね」。会場で、鑑賞している人から発せられるこの言葉を何度聞いたことか。確かに僕も、水野さんの絵を知った時は「動物の死骸(!)や人物を写真みたいに描ける人」という認識だった。現にNHK「日曜美術館」において、彼は写実主義作家の括りで取材を受けている。しかし彼は「写実作家という括りに自分がいると思ったことはない。自分にとってリアルなものを描き続けているだけ」と言い放つ。

 

写実表現とは何か?を語れるほど僕に知識があるわけではないけれど、「透過」や「Inner impulse」のような写実的な絵と抽象的な絵を並べた作品を見ると、彼にとっては「見たものを描く行為」と「そこから受ける印象を描く行為」は相反するものではないのだと確信できる。むしろ「目で見えるものを明確に描く」だけではなく「ないものをただ抽象的に描く」のでもなく「心の中に結ぶ実像をいかに実感をもって描くか」ということにシフトしつつあるのだと思う。抽象を写実で描く?・・禅問答のような難しい領域で、彼は戦っている。

 

 

高崎美術館の1階から3階まで、彼のこれまでの作品の長い変容を経て、今回の個展で最後に待つのが「Mother」と題された自身の母親を描いた作品。一見して言葉を失う大作である。「息子は昔から虫と、絵を描く事が好きで」・・ほがらかにインタビューに答えていた映画学校の取材当時から、母親のパーキンソン病は進行していたらしい。会場の一角では、水野さん自らが撮影した映像・・絶えず体を動かさねばいられない母親の姿が流れている。母親を描いた大量のドローイングは壁を覆い尽くすように貼られ、彼が母親と対峙した時の長さが鑑賞者にもまとわりつく。

 

「Mother」。キャンバスの隅から隅まで、母親を覆い尽くすように描かれた線は、わかりやすいところでは絶えず動き続ける手足、体の動きを捉えたものなのかもしれない。けれど2度目にこの絵を見たとき、僕にはそれは横たわる母を覆い尽くす花のように見えた。それは美しくも不吉である。水野さんから聞いた話で、描いている最中に母親に見せたら「美空ひばりのドレスみたいね。結婚式も和装だったから嬉しいわ」と答えたという話は、とても良い話だと思った。鑑賞者それぞれに、それぞれの何かを焼き付ける。

 

僕にとってはまた、見れば見るほどにわからなくなる絵だった。写実なのか抽象なのか、完成なのか未完成なのか、冷たいのか暖かいのか・・けれど、頭で理解しようということを放棄して、ふっと全てを取り払った時に、言葉にすると恥ずかしいけれど「愛」だけが残る気がした。僕が勝手に思った事ではあるが。

 

 

風景を描くことに物足りず、人を描くことに物足りず、捉えられるのかどうかもわからない「時間」や「存在」を描こうとする水野暁は、誰よりも欲深い絵描きだと思う。その先に何があるかはわからないけど、尊敬と共感と畏怖を感じながら見届けていきたいと思う。
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