終日、バルサンをたいたような、曇天。
判然としない雲間から、太陽の気配だけが見え隠れしていたのだが、
日が傾いてからは、俄雨。
お陰で幾分か、風が涼しくなった。
最近、週に一、二度は三味線を触るようにしている。
触る、ったって、膝の上でただ撫でまわしているだけでなく、
ちゃんと撥で弾いてみたりする。
この三味線、年末に買ったのだが、まず何三味線なのか、未だに判別がつかない。
津軽か民謡か、然るべき本やネットで調べれば、一目で分かると思うのだが、
それも何だか億劫で、中々実行に移せない。
それでも、東さわりが付いていて、胴が津軽ほど大きくないので、
民謡三味線かと踏んでいるのだが、一向に確信が持てない。
そんな、まさに今日の空模様の如き状態なので、現在使用している撥も、
リサイクルショップで購入した、得体の知れぬ木製の撥。
そのアヤシゲな組み合わせが、判然としない三味線を、
さらにおぼろげな状態にしている。
私は、なまじギターが弾けるので、三味線を軽視している。
つまりは、「直ぐ弾けるだろう」とタカをくくっているのだ。
そう言う気持ちが、現在のおぼろげな状態に起因しているのだろう。
それでも、弾く。
出鱈目に音を合わせ、
出鱈目に三味線を抱きかかえ、
出鱈目に撥で弾く。
音は、
そりゃもう、
滅茶苦茶、
酷いものである。
それでも、弾く。
それでも、
出鱈目に、
それでも、弾く。
今月の幾日だったかに、小さな演芸会がある。
それに出演する為の、練習。
形式やら教則やらを、一から放擲して三味線を弾いたらどう言う事になるか。
その惨状を観客にぶちまけてやろう、と言う企みを、密かに胸中に秘め、
当日を迎えようと思っていた。
しかし、今は、その企み、そしてこの三味線さえも放擲して、寝床に寝転んでいる。