919声 不況に和音

2010年07月07日

終日、バルサンをたいたような、曇天。
判然としない雲間から、太陽の気配だけが見え隠れしていたのだが、
日が傾いてからは、俄雨。
お陰で幾分か、風が涼しくなった。
最近、週に一、二度は三味線を触るようにしている。
触る、ったって、膝の上でただ撫でまわしているだけでなく、
ちゃんと撥で弾いてみたりする。
この三味線、年末に買ったのだが、まず何三味線なのか、未だに判別がつかない。
津軽か民謡か、然るべき本やネットで調べれば、一目で分かると思うのだが、
それも何だか億劫で、中々実行に移せない。
それでも、東さわりが付いていて、胴が津軽ほど大きくないので、
民謡三味線かと踏んでいるのだが、一向に確信が持てない。
そんな、まさに今日の空模様の如き状態なので、現在使用している撥も、
リサイクルショップで購入した、得体の知れぬ木製の撥。
そのアヤシゲな組み合わせが、判然としない三味線を、
さらにおぼろげな状態にしている。
私は、なまじギターが弾けるので、三味線を軽視している。
つまりは、「直ぐ弾けるだろう」とタカをくくっているのだ。
そう言う気持ちが、現在のおぼろげな状態に起因しているのだろう。
それでも、弾く。
出鱈目に音を合わせ、
出鱈目に三味線を抱きかかえ、
出鱈目に撥で弾く。
音は、
そりゃもう、
滅茶苦茶、
酷いものである。
それでも、弾く。
それでも、
出鱈目に、
それでも、弾く。
今月の幾日だったかに、小さな演芸会がある。
それに出演する為の、練習。
形式やら教則やらを、一から放擲して三味線を弾いたらどう言う事になるか。
その惨状を観客にぶちまけてやろう、と言う企みを、密かに胸中に秘め、
当日を迎えようと思っていた。
しかし、今は、その企み、そしてこの三味線さえも放擲して、寝床に寝転んでいる。