私は食事に関して冒険しない性質である。
つまり、食に関する好奇心が薄いのだろうが、通っている食堂などへ行っても、
一度これと決めると、何年も同じ品物を注文をする。
食堂の大将に、「いつものね」なんて言われるタイプである。
相反して、好奇心旺盛な人も、勿論いる。
そう言う人と一緒に食堂などへ行き、メニューに変わった品を見つけると、
即決で「じゃあ、食べてみよう」と言う事になる。
私の身近では、ほのじ氏が、職業柄と言う事もあろうが、まさにそのタイプ。
俳句ingなどで訪れた、見知らぬ土地の一見居酒屋で、
メニューから何やら得体の知れぬ料理を見つけ出す。
(いつぞやは、ダチョウの刺身だったかタタキだったか)
すると、即座に店員を呼び、喜々とした眼差しで注文している光景を、
何度となく見た。
先日、そんな、食に暗い私が読んでも、とても面白く感じた食の本があった。
嵐山光三郎氏の『文人悪食』(新潮社刊)である。
漱石、鴎外から池波、三島まで、日本文学史に名を成した37名の文士たちの食卓事情、
ことにその「悪食」ぶりが、氏によって軽妙に描かれている。
アイスクリームとビスケットが好物の漱石。
饅頭をご飯の上に乗せて、煎茶をかけて食べるのが好きな鴎外。
群馬県に縁のある作家で言えば、ウイスキーをサカナに睡眠薬を常用していた安吾も、
「とも食い」と称してアンコウ鍋を好んで食べていた。
そして、洋食好きで知られる朔太郎も、東京の借家を転々としながら、
毎晩、酔っ払っては終列車に転がり込む毎日を送っていていた。
そんな折、夜中にただ独りで食う、母が作った握り飯の味に、悲哀を感じていたのだ。
文人の作家生活の中で「食」を照射する事により、有名文学作品が持つ、
裏舞台を見事に浮かび上がらせている。
元雑誌編集者であった氏は、壇一雄の担当編集者であり、
多くの文士と直に付き合っているので、内容も深く貴重なものが多い。
やはり、昨今「文豪」なんて言われる方々には、
その私生活にも、常人とは異なる「食物語」があるようだ。