926声 人に食あり物語あり

2010年07月14日

私は食事に関して冒険しない性質である。
つまり、食に関する好奇心が薄いのだろうが、通っている食堂などへ行っても、
一度これと決めると、何年も同じ品物を注文をする。
食堂の大将に、「いつものね」なんて言われるタイプである。
相反して、好奇心旺盛な人も、勿論いる。
そう言う人と一緒に食堂などへ行き、メニューに変わった品を見つけると、
即決で「じゃあ、食べてみよう」と言う事になる。
私の身近では、ほのじ氏が、職業柄と言う事もあろうが、まさにそのタイプ。
俳句ingなどで訪れた、見知らぬ土地の一見居酒屋で、
メニューから何やら得体の知れぬ料理を見つけ出す。
(いつぞやは、ダチョウの刺身だったかタタキだったか)
すると、即座に店員を呼び、喜々とした眼差しで注文している光景を、
何度となく見た。
先日、そんな、食に暗い私が読んでも、とても面白く感じた食の本があった。
嵐山光三郎氏の『文人悪食』(新潮社刊)である。
漱石、鴎外から池波、三島まで、日本文学史に名を成した37名の文士たちの食卓事情、
ことにその「悪食」ぶりが、氏によって軽妙に描かれている。
アイスクリームとビスケットが好物の漱石。
饅頭をご飯の上に乗せて、煎茶をかけて食べるのが好きな鴎外。
群馬県に縁のある作家で言えば、ウイスキーをサカナに睡眠薬を常用していた安吾も、
「とも食い」と称してアンコウ鍋を好んで食べていた。
そして、洋食好きで知られる朔太郎も、東京の借家を転々としながら、
毎晩、酔っ払っては終列車に転がり込む毎日を送っていていた。
そんな折、夜中にただ独りで食う、母が作った握り飯の味に、悲哀を感じていたのだ。
文人の作家生活の中で「食」を照射する事により、有名文学作品が持つ、
裏舞台を見事に浮かび上がらせている。
元雑誌編集者であった氏は、壇一雄の担当編集者であり、
多くの文士と直に付き合っているので、内容も深く貴重なものが多い。
やはり、昨今「文豪」なんて言われる方々には、
その私生活にも、常人とは異なる「食物語」があるようだ。