毎朝、2紙、時々読む週刊や月間入れれば、3紙程、新聞を読む。
今朝は、その中の上毛新聞の記事に目を通しながら、思わずニヤリとしてしまった。
2面の社会頁にある、『昭和ノスタルジー』と言う連載コーナー。
第6回目の本日は、「銭湯」であった。
銭湯好きな私が、銭湯の記事を見付けたから、嬉しくなって、二ヤリ。
そんな簡単な事で無く、掲載されていた銭湯を見て、
「おぉ、やるではないか」と言う感嘆の二ヤリなのである。
では、何が感嘆に値したか。
焦点を当てた銭湯が、である。
佐波郡境町は、2005年1月に伊勢崎市と合併して、
現在は伊勢崎市境と言う地名になっている。
その旧境町に過去7軒在った中、残っている銭湯は、現在1軒。
その1軒である「さくら湯」が、今日も煙突からモクモクと煙を吐きながら、
常連客を迎えている筈。
このさくら湯に焦点を当て、「人情が触れ合う場所」として、
コーナーの銭湯に関する記事としてあった。
行った事がある人なら。
と言っても、私の思い当る中では、ほのじ氏ぐらいしかいないので、
極少数だと思われるが、行った事がある人なら、分かると思う。
味わい、がである。
さくら湯の味わいを説明するのは、ちと難しい。
伊勢崎市境、通り外れの住宅街に、さくら湯は朴訥として佇んでいる。
夜になれば辺りの灯は消え、犬の鳴き声とカレーの匂いだけが浮遊している様な、
いささか寂しい立地。
しかし、暖簾をくぐればそこに、浴室にペンキ絵を構える伝統的な湯屋がある。
このさくら湯は、私、その朴訥とした概観から、
「玄人向き」(銭湯に玄人素人も無いのだが、話の上で)の銭湯だと感じていた。
玄人向きと言うかマニア向けと言うか、つまり、その味わいの素晴らしさを、
万人に伝えるのが難しい。
その背景が瞬時に交錯し、今朝の二ヤリに繋がる。
銭湯を記事にする為には当然、選定したのだと思う。
その選定には、これも当然ながら、基準があると思う。
それを加味した結果が、「さくら湯」と言う所に、感嘆ないしは共鳴を感じる。
この結果には、「マーケティング感」が漂っていない。
それは、例え適当に選定したとしても同じ事で、マーケティング感が表に出ていない。
なので、とても純粋な記事である。
そう言う記事を読むのは、心地好い。