4095声 橋本治

2019年01月30日

なんで橋本治の著書がないのだろう?本屋に行くたびに、そう思っていた。現代社会には橋本治は必要ないのか、くらいにしか思っていなかったが、今回橋本さんが死んで、おそらく私が橋本治を知ってからはじめて、さまざまなニュースソースから橋本治の話題(訃報)が流れてきた。それを橋本治はどんな風に感じ、考えるだろうか。橋本治の訃報に関して投稿しているツィッターを読んでいると、出版界はさておき、ジャーナリズム、デザイン系、また、ごく一般の方々もいる。その数が多いのか少ないのかはよくわからないが、橋本治の話題で誰かと話ができることなんて今までなかったから、個人的には、「こんなにもいるんだ」というのが率直な感想だった。そのなかの一つに、「私の中で「頭のいい人」「やさしい人」という基準はすべて橋本治さんでできてる。」というツィートがあった。自分と同じような人もいるもんだと思ったと同時に、急に寂しさが溢れてきて、涙が出た。作家の内田樹さんは昔、橋本治との対談のなかで、橋本さんの文章はフェイクだらけ、という話をしていた。それは言葉を掴まえようとすると必ず裏があって、その裏に導かれるとまた裏がある、みたいなことの連続で、だから、掴まえさせてくれない、というような意味だったと思う。裏は、ちゃんとわかりたい、の現れだと思う。だれも見ようとしないけれど、ひとつの物事をわかることはそんな簡単なことではなくて、例えばハッピーは安易なハッピーだけで成り立っているわけではない、ということを、とてもしつこく、ときに命を削りながら、考えていた人だった。けれども、橋本治の著書を読み終えると、いつも温かい気持ちになる。何がわかったのかどうかもよくわからないことも多いのに。徹底して人間に向き合っている人の安心感と、その根底には、なんだかよくわからない人間というものへの祝福があった。橋本治が死んで、平成が終わる。けれども終わらないものはたくさんあって、橋本さんが残してくれたものも、たくさんある。