962声 街の中の存在 後編

2010年08月19日

昨日の続きから。
「こんちは」とか、「今日も暑いねぇ」など。
銭湯へ行けば、顔見知りになった番台のおばちゃんとも話すし、
近所の常連さんとも、二言三言は会話する。
現にそこでは、常連さん同士、
「そう言えばあの人最近来ないねぇ」
なんて、まさに今日問題になっている、近所の人の「存在確認」を示唆していた。
商店も然りで、毎日買い物に訪れていると、
「兄ちゃん、最近、近所に越して来たの」
なんて、店の大将と徐々に顔見知りになって行き、
知り合えば良き話し相手になってくれる。
帰郷した群馬では、こと私の住んでいる旧群馬町と言う田舎町では、
長寿者の存在確認など、造作もない。
毎朝、裏の田圃を散歩しているおばあちゃん。
時期が来ると、稲刈りに来るおじいちゃん。
こう言う地域のお年寄りの姿が見えなくなれば、隣近所で直ぐに、
「あれ、最近、どうしたんだろ」
って事になる。
反面、私などは、
「あそこん家のせがれはいい歳してまったく…」
などと、何か行動を起こせば、直ぐに陰口が近所を駆け巡るシステムになっているが、
それはここでは関係無い。
つまりは都市部に(高齢者を含む地域住民が気兼ねなく触れ合えるような)、
「公共の場」足り得る施設が減少している事。
そう言う名目の公共施設が在っても、機能していなければ、
つまり、実際に利用者同士が触れ合えなければ、元の木阿弥である。
そして、自治体での個人情報保護法におけるコンプライアンスの在り方。
所在確認の方法について、個人情報を保護を念頭に置きながら、
どの程度まで調査できるか。
その二点に、問題解決の糸口が有るのではなかろうか。
などと、私は何故、自らに余り関わりが無さそうなこの問題に対して、
真面目腐った意見を述べているのだろうか。
こう言う社会派風な一面を覗かせたかったのだろうが、それは勿論、
自らの「文章芸」として域を出ない話である。