昨日の続きから。
「こんちは」とか、「今日も暑いねぇ」など。
銭湯へ行けば、顔見知りになった番台のおばちゃんとも話すし、
近所の常連さんとも、二言三言は会話する。
現にそこでは、常連さん同士、
「そう言えばあの人最近来ないねぇ」
なんて、まさに今日問題になっている、近所の人の「存在確認」を示唆していた。
商店も然りで、毎日買い物に訪れていると、
「兄ちゃん、最近、近所に越して来たの」
なんて、店の大将と徐々に顔見知りになって行き、
知り合えば良き話し相手になってくれる。
帰郷した群馬では、こと私の住んでいる旧群馬町と言う田舎町では、
長寿者の存在確認など、造作もない。
毎朝、裏の田圃を散歩しているおばあちゃん。
時期が来ると、稲刈りに来るおじいちゃん。
こう言う地域のお年寄りの姿が見えなくなれば、隣近所で直ぐに、
「あれ、最近、どうしたんだろ」
って事になる。
反面、私などは、
「あそこん家のせがれはいい歳してまったく…」
などと、何か行動を起こせば、直ぐに陰口が近所を駆け巡るシステムになっているが、
それはここでは関係無い。
つまりは都市部に(高齢者を含む地域住民が気兼ねなく触れ合えるような)、
「公共の場」足り得る施設が減少している事。
そう言う名目の公共施設が在っても、機能していなければ、
つまり、実際に利用者同士が触れ合えなければ、元の木阿弥である。
そして、自治体での個人情報保護法におけるコンプライアンスの在り方。
所在確認の方法について、個人情報を保護を念頭に置きながら、
どの程度まで調査できるか。
その二点に、問題解決の糸口が有るのではなかろうか。
などと、私は何故、自らに余り関わりが無さそうなこの問題に対して、
真面目腐った意見を述べているのだろうか。
こう言う社会派風な一面を覗かせたかったのだろうが、それは勿論、
自らの「文章芸」として域を出ない話である。