4338声 10)言葉

2020年03月10日

僕は言葉の使い方が下手である。いや、最近「岡安くんが書く文章良いよね」とか言われて調子にのることもある。ちなみにこのめっかった群馬のコラムのずいぶん過去の抜井さん・堀澤さんのコラムや、僕が今まで書きためたものを自ら1冊の小冊子にした「一個zine」は高崎「REBEL BOOKS」で販売をしていただいており、思ったよりも売れています!そりゃ調子のるわ!ありがたい!

 

僕はSNS歴が長い。が、ここ数年SNS疲れで投稿をしなくなった人、見なくなった人も多いように思う(コロナ禍が始まってからツイッターでの情報収集を再開した、という話も聞いたが)。SNSのコツはたぶん、政治のことを書く時も、うんちの事を書く時も(それだけの幅っていう比喩ね)「誰に読まれても良い事」しか書かないことかもしれない。僕は政治のことは書かないが、うんちの事を書く時も(比喩ね)人に読まれる前提で書いている。普段の世間と同じと思っているから、切り替えも必要ないし、実はほとんどストレスもない。それはそれで、誰でもそうできるものではないだろうが。つまりは僕はある程度、言葉に自覚的な方なのだと思う。

 

ただ言葉というのは難しいもので、例えば最近も糸井重里氏のツイッター投稿が「政権擁護だ」と非難され炎上するということがあった。実際の投稿自体は政権を擁護する言葉ではないのだが、解釈としてはそう読める可能性を含んでおり、コロナ禍に対する情報が深刻さを増していくなかで、糸井氏の投稿に限らず「言葉に、言葉の解釈に敏感になっている」ふしがある。その一番の回避方法は多分黙秘である。でもそんな中でも、例え血を浴びようとも、言葉を発し続けることは、やめてはいけないのだと思う。

 

僕の「言葉の使い方が下手」というのは、大事な局面においてである。大事なことを伝えようという時に、未だに、自分を良い人として見せたがる、正しいものを求めたがる、という気質がある(今月の投稿はまさにそんな感じだけど)。力が抜けないのだろうか。最後に、ちょっと練習をしてみようと思う。

 

きのうは からいらーめんをたべたら けさうんちをするときに おしりがいたかったです ふぁっく

 

・・ほら、これすらも読まれる前提で書いている。自分にがっかりするわ。