4345声 17)寂しさ

2020年03月17日

寂しさ、に注目している。僕を知っている人なら僕がインスタグラムで #寂しさよこんにちは というハッシュタグをつけて、いっこうに映えない地味な写真を上げ続けていることを知っているかもしれない。華やかさで溢れるインスタグラムで、言葉に頼らず写真だけで「寂しさ」は共有できるのか?というそれらしい(?)理由を上げているが、これはもう何も考えずに感覚的に続けている節がある。当然、フォロワー数は増えない。

 

僕が育った1980年〜2000年あたりは、例えばトヨタやソニーは世界の先端をいっており、身の周りに、めっちゃお金持ちという友人はあまりいなかったが、かわりにめっちゃ貧乏もいない総中流時代でもあり、身近に「豊かさ」を感じられる時代だった。ざっくり言えば。しかしその空気は、あっという間に入れ替わってしまった。経済でも文化でも「ジャパンイズナンバーワン!」と思っている人はもはやいないだろうし、この国の先を予想すれば(平田オリザ氏の著書の題名を借りれば)「下り坂をそろそろと下る」以外にない。

 

ところで音楽は、また時代を反映するものであって、今そこそこな音楽ファンにまで名前が浸透してきた折坂悠太さんは「さびしさ」という歌を歌っている(確か以前投稿もしたし、名曲なのでyoutubeで探してね)。抽象的な歌詞ではあるが、僕より一回り若い彼も、日本にただよう寂しさを感じ、そこから「イケイケどんどんの時代」には見えなかった「誇張や見栄のない新しい価値観」を見出すための歌作りを続けているような気がする。

 

そして。コロナショックによって下り坂は、そろそろ降りる、どころではなくなった。穏やかな口調で語っていたオリザ氏は劇作家として先頭にたち「今のままでは芸術文化が失われる」と強い声でアピールを続けている。ここからは僕の個人的見解だが、コロナに関しては個人個人の注意は絶対に必要でありつつも、専門家や政治家でない僕らが「危機感を先回り」しすぎると精神的に参ってしまう。なぜなら、終わりがまだ見えないのだから。だから、僕はいい意味での「事後対応」も必要だと思っている。先回りして怖がるのではなく、事が起きてから対応する、という心構えがあっても良いと思うのだ。

 

そしてこんな世の中にあっては「寂しさ」もまた、有効な手段となる。戻らないものを悔やみ妬むものとして溜め込むのではなく、寂しさに変えて、そっと流すのだ。

 

・・あ、平田オリザ著「下り坂をそろそろと下る」は2016年、折坂悠太「さびしさ」は2018年、僕がインスタで #寂しさよこんにちは の投稿を始めたのは2015年。今後「寂しさ」ブームが来たら、その言い出しっぺは僕ってことでヨロシクね!