4417声 雰囲気

2020年05月28日

ひとまずコロナウイルスは、どこかにいなくなったのかもしれない。そう思えるくらいの、感染者の推移になった。ゼロになったわけではないが、いったん収束するまでに要した時間は2ヶ月だった。感染拡大だけを見れば、群馬県はもうこの1ヶ月は感染者がほとんど出ていない。昼間の施設は再開し、人出も増えている。しかし、依然として夜の街に人はいない。これはなんなんだろう?と考えた。理由は、感染のリスクではないのかもしれない。夜の街に人がいないのは、「まだ今は、飲み歩いていたら何を言われるかわからない」という、雰囲気なんじゃないか。この2ヶ月を辿ると、とても日本人は言うことをよく聞くということが、よくわかった。じゃあ、いったい誰の言うことを聞いているのかといえば、きっとそれは「雰囲気」の言うことを聞くのだと思う。具体的な誰かでも、いろいろ考えた結果のあり方でもなく、その時の雰囲気にならば、従うのだと思う。雰囲気が出ていい雰囲気、となれば出るし、まだそこまで行かない雰囲気と判断すれば、出ない。きっとそうに違いない。例えば、なぜ高崎には昼飲みの飲食店が根づいていかないかの理由も同じだろう。きっと、雰囲気だ。人が外で昼飲みをするかどうかは、その街に昼飲みを好きな人がどれだけいるかではなくて、街の成り立ちや、歴史的に昼飲みが受け入れられているかどうか、今現在そういう雰囲気があるかどうか、という理由だけなように思う。改めてそんなことに気づいてしまった。それが、思考停止に直結していることも。その思考停止を前提として、ビジネスも政治も進められていることも。