4451声 まだ遅くない

2020年07月01日

岡安です。前回の「めっかった群馬」担当月はひどいものだった。そもそも担当と気づかないまま3月が過ぎ、言われて急いで書いた。世の大半の人はそういう数ヶ月を過ごしたものと思うが、自分の3月の心境と今の心境にずいぶん隔たりがある。ふと、鈴木・堀澤・抜井の3名はこの数ヶ月をどう過ごしたのだろうかと読み進めてみた(4399声 母の日 は特に良かったので読んで欲しい)。

 

これを読んでいる方にとっては意外かもしれないが、僕自身はそれほど顔を合わせる皆さんではない(鈴木さん年平均3回、堀澤さん年平均4回、抜井さん年平均1回というところか)。がしかし、腐れ縁といっても良い程度の長い付き合いになったし、何よりこの場所では彼らの肉親以上に(彼らの肉親がこれを読んでいたら別だが)彼らの生活を見ている。時の流れも感じる。

 

僕からしてみたら随分大きな組織にいて独自の鋭さで仕事を切り抜けていた若者は文字の通りの中間管理職な立場でコロナ禍の新事業立ち上げに添い/知るひとぞ知るけれど客は多くなく(失礼)器用がゆえに1人でこなしていた料理人は人気クラフトビール職人となり従業員と共に残る道を探り/会社から帰れば多感の行き場をビールで流し込んでいた俳人志望の彼は次なる一句を求め選句を任されるまでの他が認める俳人となった

 

周りから見れば僕も僕で変わって見えるのかもしれないが・・この数ヶ月を経て実感したのは主に「自分の成長のなさ」だった。ステイホームの期間は大げさに「自分のこれからの人生を決める時間」にしたいと思いつつ、結果何もせぬまま日は過ぎて、むしろ世の中が動き出した6月の半ばからは「ちょっと待って!」という思いさえあった。だが「めっかった群馬」の3者の投稿を読み進めていくうちにそれは「一人でいることが長かったことによる幼がえり」でもあったのかもしれないと気付いた。精神的に人や社会に揉まれなかったからなぁ。3者は、それぞれの歩みではあるけれど、コロナ禍にあっても確かに進んでいた。少し、目が覚めた。そして、そういう友人がいることを嬉しく思った。

 

「まだ遅くない」。そう思い続けられるのは、あと何年だろうか。