4479声 ジョウモウ大学

2020年07月27日

群馬を世界中に自慢したくなる街に。
を掲げ、2011年から活動を行ってきた「ジョウモウ大学」が活動終了を報告した。大学といっても校舎を持たず、県内各地で一回一回場所・講師・生徒を変えて独自の授業を行ってきたジョウモウ大学。下記にリンクした二代目学長・荻原貴男くんの言葉を一部引用したい。

 
【2010年代前半には「何かをやりたい人が使えるしくみ/場」や「同じ興味を持った人が出会う場」を求める空気が、この街に、あるいは社会に、間違いなくあった。時代の要請ですね。それが初代学長が動くことで形になったのがジョウモウ大学だったんだと思います。そして必要とされた時期に必要とされた役割を果たした。だから前向きに活動を終えられるというわけです。】

 
全文
https://jomo-univ.net/news/news_main.html?id=140

 

高崎中心の運営メンバーだったが、開校前のある日、僕も、それまで会ったこともなかった前学長の橋爪光年さんからツイッターのDMをいただき(2011年的!)いくつかの授業のコーディネーターを担当させていただいた。

 
2011年の開校授業から4回続いた「中之条ビエンナーレができるまで」授業は、2年に一度のビエンナーレの開催直前に、山重徹夫ディレクター案内で「ふつうは立ち会えない作家が作品を作る現場」を回るツアーで、それに限らず参加者で「効き温泉ゲーム」をしたり「道祖神作り」をしたり「スマホでビエンCM作り」をしたりと、横の繋がりができる工夫をした。また、当時も今も地方におけるデザインを引っ張っている中之条町出身のアカオニ代表・小板橋基希さんを高崎・豊田屋旅館本店に招いて行った「風土をデザインする。」授業には、県内外から若いデザイナーが集まり、熱いやりとりが行われた。すべてが思い出深い。

 

 
「ジョウモウ大学のスタッフなんですよ。(小声で)幽霊ぎみだけど」という言葉を何度使わせてもらったかわからない。県内在住で楽しいことが好きな人には、ほぼ全員に通じた頃があった。それは、自由で楽しい「ジョウモウ大学」的な価値観が共有できるだけで、「この人とは価値観を共有できる」とまで思ってしまうような「豊かさ」が、それぞれの授業や、総合的なデザインにあったからだと思う。
2020年、「ジョウモウ大学」はその役目を終えた。その事にまったく異論はなくて、そういう時代になったのだとも思う。けれど、「この先ほんとうに、ジョウモウ大学的なものはなくて良いのだろうか?」という問いは、各自が持ち続けなければいけない気もしている。さて、これから何がはじまるのだろうか?