4543声 これからを考える〜自分の家ばかりが揺れていると感じてしまう人編〜

2020年09月27日

コロナウイルスがもたらしたものは何か。人間同士の、物理的な距離、リモートの拡大、あるいはバーチャルへの慣れ、話声のボリュームダウン、マスクの常態化、マスクの洋服化、薄化粧、テイクアウト利用、家飲み。いろいろある。いろいろあるが、これらは一律の、平等に起きていることである。一律でないものがある。それは、コロナウイルスの影響を受ける仕事、立場と、そこまで影響を受けない仕事、立場があって、そこまで影響を受けない仕事、立場の人間たちは割とのんきでいることができて、まともに影響を受ける仕事、立場の人間たちは、崩れる体制を立て直すために火事場のくそ力、地道で長い踏ん張り、発想の転換を求められる、ということである。隣家の窓からは笑顔が溢れている中、なぜかうちだけが雨で寒く、頻繁に停電も起こるし、頻繁に家ごと揺れている、ように感じてしまう仕事、立場の人たちがいる、というようなことである。こうした違いは見えにくくて、外で歩いていればどの人が揺れの少ない家に住んでいて、どの人が揺れてばかりの家に住んでいるかは見分けがつかない。それどころか、一緒に会って話してみても、その違いは見えにくい。自分の家ばかりが揺れていると感じてしまう仕事、立場の人たちのこれからには、2つあると思う。1つは、引っ越しを考える時期かもしれない、ということである。なぜこの家は揺れるのか、揺れない、揺れにくい家はなぜ揺れにくいのか、考えなくてはいけない。さもなくば、知らないうちに気づいたら雨風すら凌げない、ということに、簡単になりかねない。もう1つは、揺れる家でも雨風凌げればいいや、と、開き直ることである。最低限の養生は怠らずに。けれどもとてもこれは、エネルギーを使う。何がしたいのか、何ができていれば幸せなのか、床暖房なのか、セントラルヒーティングなのか、いや、すきま風でも寒い部屋でも木の香りがすることが大事なのか、そんなことを、揺れながら踏ん張りながら、考える時期になった。考えるべきは、最低限の養生のラインと、何ができるか、何がしたいのか、である。それからあと一つ、大切なことがある。頻繁に揺れる家も、ときに揺れない瞬間がある。せめて揺れていないときにくらいは笑っていたっていい。揺れないときに笑っていられるくらいの懐の深さ、生きることへの余裕、遊び心くらいは、いい機会だから、身につけたっていい。