4546声 大人になるということ

2020年09月30日

結局私は、何かに依存しなければ生きられないようです。そんなことをしっかり宣言する、そういう大人もいま必要かもしれない。まず、自分の話をしてみる。まず、酒に依存している。呼び捨てにしたらバチが当たる。お酒。お酒は本当に正直で、その酒の有り様と飲んだ量で、その通りの結果が出る。昨夜もワインを一本空けてしまい、当然いい夢は見ないし今朝も身体は重いけれど、生きている。けれどもまた、もっと減らしたいともどこかで思っている。自分がシラフのときから逆算して依存しているものを拾っていくと、例えば、おいしそうな魚を買うこと、それをきれいに下処理したときの快感に依存している。そしてそれをお客さんが食べてくれて買ったお金を回収できることで生きている。ビールを作れて、それがおいしくできたときの快感に依存している。他にも、その2つに付随してSNSをしていて、これに相当、依存している。ときに本質(魚を食べてもらうこととビールを飲んでもらうこと)を忘れて没頭している自分に気づいたときため息が出るくらいには、依存している。次に、近しい人間に依存している。家族や恋人を筆頭に、そうでない人にも、とくにお客さんなど、これは依存してるなと思うことが多々ある。それから、書くことにも依存している。鶴のひとこえは、書くことにより私が私を支える、最後の手段。書くことで、あるいは、話すことで、人は自分を支えることがあるのだと思う。だから、ことばがでなくなるというのはどれだけ辛いだろうと、それだけで胸が痛む。依存していいの。ただ大事なのは、他者を生もうとすること。自分の依存に能動的に関わる他者が生まれること。私ならば、買った魚が売れること。能動的に食べてもらえること。作ったビールが売れること。能動的に飲んでもらえること。逆に私が飲む番になった時は、お酒を飲むことが、明日への活力となること。それが仕事や仕事仲間、お客さん、家族、恋人につながって、また能動的な関わりを持とうと思ってもらえること。書くときは、これを読んだ人を無闇に傷つけないか、一字一句想像して書くこと。その上で自分の気持ちいい言葉、リズムで書くこと。依存したままでいいから、大人になりなさい。大人になるとは、その人の存在、生んだ何かに能動的に関わる他者、発想が生まれること。あなたによって能動的な他者が生まれているならば、十分じゃないかね。あくまでこれ、人間は最後は人間でしか癒やされない、という、結局人は一人では生きられないという前提に立っているけれどね。