4605声 よそものorよそものじゃない

2020年11月28日

リモートでの中之条旅行「旅ルミネ」で個人的に一番思ったことは、13年という年月のすごさだった。旅の案内人となったのは、地域おこし協力隊として中之条ビエンナーレスタッフになり、今は「中之条クラフト」というブランドを立ち上げ手作りチョコレートを製造・販売している西岳くんとそのチーム。中之条に移住してから絵を描きながら日頃農業に従事しているほっしーと飯澤さん。そして昨年移住してきたカナダ人男性と群馬出身女性によるアートユニット・クレモモの3組。彼ら彼女らが、自分がつとめる農家や、興味を持っていたという地元の石工・木工職人などを訪ねて回った。

 

僕は本番前日、エンディングでのDamaDamTalのパフォーマンスの準備で、伊参スタジオ(木造校舎)で映像の仕込みをしていて、その様子をさくっとインスタグラムに挙げた。するとそれを見た中之条ビエンナーレの初期メンバーから「懐かしい。思い出深い始まりの場所ですね。」というコメントが投稿された。それで、そうか!と思ったのだ。

 

 

中之条ビエンナーレがはじまったのは2007年。はじまりの年は、今もディレクターをとつめる山重徹夫氏が中心となり、その友人を中心に芸術祭がはじまった。「用意された場所の依頼でアーティストが作品を飾るのではなく、アーティスト自身が自ら発表する場を作る」というのがそも目的だった。今でこそ全国的な認知になり、町おこしのくくりで語られることも多いと思うが、その軸は変わっていない。

 

それで、印象的なのは開始当初、山重さんらは「当初、使わなくなった廃校によそから来た若者が集まって何か変なことをしている」的なことを言われていたそうだ。それから13年・・状況は変わった。それは簡単に言えば、アーティストが町になじんだ、町がアーティストになじんだ、ということかもしれない。

 

僕は近年、個人的には「アーティストとは、絵や彫刻を作る人じゃなくて、生き方の一つだ」と思っている。それはつまり、社会生活を送りながら、何かを作らずにはいられない人、ということだ。それがアートだと急に別物感が出てくるが、別の仕事をしながら野菜を育てている人と違いはないのでは、という気もする。創作一本を生業としているアーティストもいるが、それが全てではない。

 

中之条ビエンナーレから13年経った今、「旅ルミネ」で実に自然に在住アーティスト達が立ち振る舞っているのを見て、僕はその13年という年月のすごさを思った。その先に何があるのか、期待している一人である。