5040声 歌舞伎と落語と都々逸と

2022年02月25日

 

コロナ禍になって出来なくなったことの一つに歌舞伎鑑賞がある。歌舞伎座で歌舞伎を見ることが出来なくなった。公演はなんとかやっているのだが、飲食禁止ということで楽しみも半減してるし、また、県境をまたいで遊びに行くのもはばかられるということで、歌舞伎座に行けていない。コロナが明けて、心置きなく歌舞伎座に行ける日が待ち遠しい。

 

そのかわりというわけでもないのだが、家で落語を聞くことが多くなった。ラジオのアプリやYou Tubeなど、今はとても便利だ。

なんで落語なのか。

歌舞伎と落語は粋な仲で、三遊亭圓朝の落語は歌舞伎になっていたり、落語にも歌舞伎の話が多い。両方知っていると楽しさか倍増するのである。それに、落語は、歌舞伎ほどリアルとの落差も少ない。映像や音だけでも結構楽しめるのだ。

 

 

先日、古今亭志ん朝の『居残り佐平次』を聞いてたら、佐平次が遊郭の主人に自分の来歴を語るときに、『白浪五人男』の中の台詞「がきのころから手癖が悪く・・・」とやっていた。忠信利平だ。結構うけていて、笑いがおきていた。わたしも、何回か聞いているのに、ここでは思わずニヤリとしてしまう。

 

 

 

話しは変わるが、『幕末太陽傳』という映画は、『居残り佐平次』を中心に、いくつかの落語をベースとしてつくられた作品だ。江戸の遊郭の雰囲気が感じられる映画で、志ん朝を聞いてから見るとさらに楽しめる。

この映画には、石原裕次郎が高杉晋作の役で出ているのだが、その晋作が都々逸を唄うシーンがある。

 

 

〽三千世界の鴉を殺し主と朝寝がしてみたい

 

 

まあまあ、有名な都々逸だ。

何回か登場するので、都々逸好きには嬉しい。

高杉晋作、または桂小五郎の作といわれている都々逸だが、『幕末太陽傳』では、高杉(石原裕次郎)が「俺がつくった」と言っている。

 

昭和の名人と呼ばれるような噺家(落語家)は、話の中に都々逸を入れてくる。歌舞伎でも、世話物では都々逸を唄う場面がある。

 

しかし、最近の噺家の落語で都々逸を聞くことはほとんどない。寂しいかぎりだ。

先に紹介した志ん朝の「居残り佐平次」では、かすみ姐さんが唄ったとして、佐平次が都々逸をいう場面がある。今の噺家がやるときはどんな都々逸にするのだろうか。

 

 

 

志ん朝と立川談志あたりが、都々逸のわかる噺家の最後かもしれない。

 

 

 

上州どどいつ部でお世話になっていた柳家紫文紫文師匠が、昨年11月に亡くなってしまった。

 

紫文師匠は、都々逸の楽しさ面白さを知ってほしいと都々逸の本を出すなど、その普及に尽力してきた方だ。

高崎出身ということで、ご縁をいただき、足掛け5年、毎月指導してもらった。上州どどいつの活動と都々逸の普及も忘れずにやっていきたい。

 

 

ということで、本日は、都々逸でおわりたい。

 

 

駄洒落言うのも

命懸けです

独裁国家

おそろしや