本日、二声め。
鶴のひとこえなのに。
廃品回収の中止の見回り後、珈琲を淹れた。
十年以上、豆の重さ(グラム)は測ってきたが、お湯はサーバーの目盛りによる目分量でやってきた。
ところが、去年の今ごろ、前橋のブルーボトルコーヒーに行く機会があって、コーヒースケールというものを知った。そういえば、高崎のwarmthでも使っていたな〜などとおもい、その後ちょっと調べてほどほどのものを購入。
(ブルーボトルにおいてあったものは、なかなかの高値だったので)
それからは、お湯の重さ(グラム)と抽出時間を測りながら淹れていた。いままで適当にしていたものが、はっきりと数値として把握できるようになった。
しかしながら、ボタンを押し忘れてしまいスケールにサーバーを載せている意味がまったくない状態で入れてしまうことがときどきある。
今朝も、その「ときどき」だった。
本日は、廃品回収(ただし中止)後ということもあり、ぼーっとしていたのかもしれない。
気がつけば、お湯の量(グラム)も抽出時間もまったく表示されていないコーヒースケールの上で珈琲を淹れていた。
が、まったく支障がなかった。
珈琲の味もいつもどおり。
このことから、
「コーヒースケールとはファッション、またはパフォーマンス、または客への説明責任の表示、信頼の付与、そんなところなのかもしれない」
とも考えたが、
「誰でもできるようにするマニュアル化、標準化の役にはたっていることは間違いなさそうだ」とも考えられる。
このことについては、経営者か、職人かでも考え方が分かれるかもしれない。
また、エンジニアや科学者は測るよなー。
なんてことを考えている。
そんな、雨の日曜日。