5672声 酒の味を知ったのは

2023年12月18日

中之条町の老舗割烹「金幸」の主人、馨さんが亡くなった。僕が小渕恵三元総理大臣を見たのはこの金幸だったように思う。小渕さんを含めた地元の盟主や有力者はここに集まっていた。大広間は100人近くは入れる広さだったか、冠婚葬祭の宴会もよく行われていたように思う。

学生時代、友人のYから「金幸でバイトしない?」と誘われた。料理を作ったり接待をしたりは無理だが、半地下一階のような厨房から2階の各宴会場まで、大人数の料理を運んだり、板の間や畳のただっぴろい建物の清掃や机やざぶとんの準備などはとにかく時間と体力の勝負だったため、僕らのような若い男子が求められていた。とにかく体を使った記憶がある。宴会の最中などはむしろ僕らは休憩時間で、客の入らない小さな部屋でバイト学生同士、たわいもない話をした。

まだフードロス、という言葉も聞かなかった昭和の時代。宴会料理や飲み物は余ることが常であった。仕事の合間にはたんとご飯も食べさせてもらったように思うがそこは育ちざかり、すぐに腹が減った。お客が残した海老の天ぷらなどを隙を見てつまんで食べたように思う。馨さんが大きな蒸し器で蒸し上げる茶碗蒸しは絶品で、こちらは蓋つきであったし、宴会場から残って下げて手つかずのものはなんとなく公認で食べて良い雰囲気があった。多い日では4つ5つの茶碗蒸しを胃に流しいれ、また掃除のために階段を上がった。

日本酒は地元の酒、貴娘と、一般的な黄桜を扱っていたと思う。寒くなると燗で出すことも多く、未成年の僕はどれどれと日本酒も舐めてみた。今と違い貴娘は美味しくな酒で、甘くてベタベタしてくわっとアルコール感があった。その後、良い年になって良い日本酒を飲むまで日本酒嫌いだったのは、この時の体験があったからだと今にして思う(貴娘は今はとても美味しいお酒になりました)。

今年は何かと葬式の多い年だった。地元商店会の会長もつとめ、お元気な時は少年野球チームの指導にもあたった人であった。たいへん、お世話になりました。