1082声 年忘れの必要性

2010年12月17日

さて、師走もいよいよ後半戦。
平成22年の佳境である。

短い一日を、おろおろとしながら送っている人も多い筈。
私も、その一人で、兎に角、おろおろしているばかりで、
一日が暮れて行く。

この「おろおろ」の主たる原因は、「今年中に」、
と言う制約が迫って来ている事による。
今年中に片づけねばならぬ仕事が、次々に降って湧いてくる。
では、現在時刻午前零時手前の、我が部屋を見渡して、
降って湧いてくる仕事の声を聞いてみる。

一枚も済んでいない、年賀状書き。
「めっかった群馬」掲載用の、溜まっている原稿書き。
自らに課してある、一日五句の発句。
全体的に散らかり放題の、部屋掃除。
売り掛けてある本の在庫集計及び、請求書の作成。

何だか、自らのおろおろ加減に拍車がかかり、
気持まで滅入ってきた。
この中の幾つかは、忘れる事にしよう。
「人間は忘れる事が出来るから、生きて行ける」
ってな教訓は、巷の三文哲学書にも、よく書いてある。
その伝で言えば、忘れる事が出来るから、年が越せる。
「年忘れ」
とは、よく言ったものである。

【天候】
終日、穏やかな冬晴れの一日。
群馬県平野部でも、夜半には氷点下の冷え込み。