1276声 見えなくて「アリ」

2011年06月29日

「暑い」
今日も、群馬県内では猛暑日を観測。
未だ梅雨明け前だと言うのに、今からこの調子では、
これから来る盛夏がおそろしい。
既に、熱中症で病院に担ぎ込まれる人が急増している。
中には、死者も多数出ていると言う報道も流れていた。
そう言えば日中、救急車のサイレンが、至る所で鳴り響いていた。

朝からたくましい日差しが部屋に注いでいると、
「この一日を乗り切れるのか」と、まず不安になってしまう。
そして、急激に上昇つつある気温に辟易しながら、身支度を整える。
昨晩、冷やしておいた水を飲もうと、冷蔵庫を開けると、
買い溜めしてある缶麦酒の列。
目の前にある、社会人としての岐路を、どうにかこうにか、
踏み外さず、水に手を伸ばす。

霧しぐれ富士を見ぬ日ぞおもしろき

これは、「野ざらし紀行」の冒頭にある松尾芭蕉の句だが、
まずのっけから、この句の風流なポジティブシンキングに、恐れ入った。
天候が悪く、富士山が見えない日ではあるけれども、それはそれで、面白い。
私なら、「つまんねぇの」、と言い捨て、ふてくされてしまうかも知れない。
しかし、それがやはり凡人の発想なのだろう。

もはや、日本の山の代名詞となっている富士山の、
謂わば、決まり切ったあの稜線を眺めるよりも、
「霧にしぐれて見えない」
ところの方が、むしろ「おもしれぇじゃん」と言う、発想。
「霧しぐれで富士が見えない」
と言う描写により、読者は心の中に思い思いの富士山の景を思い描く事が出来る。
その、目では「見ぬ」ところが面白い、と私は解釈している。

梅雨の曇天で青空が見えずとも、茹だる様に暑い日になろうとも、
「おもしろき」と思える心を養いたい。
とは言うものの、毎朝、缶麦酒の誘惑と格闘している男が、
芭蕉の句を引っ張り出して来たって、そう容易く達観した境地に至れるほど、
俳句の道は平らかではない。
そして、いっそ缶麦酒を飲んでしまった方が、面白い。
などと密かに考えている私は、既に道に迷っている。

【天候】
朝より晴れて、ひねもす炎暑。
夕方、一時ゲリラ豪雨があるが、その後蒸し暑し。