「暑い」
今日も、群馬県内では猛暑日を観測。
未だ梅雨明け前だと言うのに、今からこの調子では、
これから来る盛夏がおそろしい。
既に、熱中症で病院に担ぎ込まれる人が急増している。
中には、死者も多数出ていると言う報道も流れていた。
そう言えば日中、救急車のサイレンが、至る所で鳴り響いていた。
朝からたくましい日差しが部屋に注いでいると、
「この一日を乗り切れるのか」と、まず不安になってしまう。
そして、急激に上昇つつある気温に辟易しながら、身支度を整える。
昨晩、冷やしておいた水を飲もうと、冷蔵庫を開けると、
買い溜めしてある缶麦酒の列。
目の前にある、社会人としての岐路を、どうにかこうにか、
踏み外さず、水に手を伸ばす。
霧しぐれ富士を見ぬ日ぞおもしろき
これは、「野ざらし紀行」の冒頭にある松尾芭蕉の句だが、
まずのっけから、この句の風流なポジティブシンキングに、恐れ入った。
天候が悪く、富士山が見えない日ではあるけれども、それはそれで、面白い。
私なら、「つまんねぇの」、と言い捨て、ふてくされてしまうかも知れない。
しかし、それがやはり凡人の発想なのだろう。
もはや、日本の山の代名詞となっている富士山の、
謂わば、決まり切ったあの稜線を眺めるよりも、
「霧にしぐれて見えない」
ところの方が、むしろ「おもしれぇじゃん」と言う、発想。
「霧しぐれで富士が見えない」
と言う描写により、読者は心の中に思い思いの富士山の景を思い描く事が出来る。
その、目では「見ぬ」ところが面白い、と私は解釈している。
梅雨の曇天で青空が見えずとも、茹だる様に暑い日になろうとも、
「おもしろき」と思える心を養いたい。
とは言うものの、毎朝、缶麦酒の誘惑と格闘している男が、
芭蕉の句を引っ張り出して来たって、そう容易く達観した境地に至れるほど、
俳句の道は平らかではない。
そして、いっそ缶麦酒を飲んでしまった方が、面白い。
などと密かに考えている私は、既に道に迷っている。
【天候】
朝より晴れて、ひねもす炎暑。
夕方、一時ゲリラ豪雨があるが、その後蒸し暑し。