国産牛肉が、おぼついていない。
先日、放射性セシウムを含む稲わらを食べていた牛の肉から、
基準値を上回る、放射性セシウムが検出された。
これを受けて、いま東日本を中心とする各県では、
放射性物質の全頭検査が進められている。
私などは疎いので、牛肉の産地など気にせずに、日々の食生活を送っている。
しかし、子供のいる家庭や食の安全性に過敏な方は、相当、衝撃を受けている様子。
幼子のいる友人の家庭でも、飲料水から野菜に始まり、今度は食肉と、
日々の食事に神経をすり減らしている。
いささか気の毒に思うが、子供の方が影響を受けやすい。
と言う一般常識に基づき、実直に、親としての勤めを果たしているのである。
百鬼園先生に「「養生訓」と言う随筆がある。
その中の一説に、こんな話がある。
体調が芳しくない百鬼園先生が、かかりつけである小林博士に、
日常の養生法を申し渡される。
その中、食べてはいけないものに、好物である牛肉が入っていた。
これが面白くなかった、百鬼園先生。
「牛は冬の間は藁しか食ってゐない。牛の本質は藁である。
藁を体内に入れて蒸すと牛肉になる。」
「藁が肝臓に悪いと言ふのは可笑しい」などと、独自の理論を展開。
家庭内で、牛肉のすき焼きの事を「藁鍋」と言う事に決めてしまって、
しきりに、牛肉、いや藁を食べてしまうと言うのである。
この偏屈っぷりが、百鬼園節なのだが、先日のこのセシウム牛の報道を目にして、
案外、この百鬼園理論は的を得ているかも知れないと、思い直した。
「藁を体内に入れて蒸すと牛肉になる。」
と言う表現のまま、藁に付着していた放射性セシウムが、肉になってしまったのだから。
食の安全性について、混迷を極めている、現在。
もし百鬼園先生だったら、この状況下で、どんな偏屈な理論を打ち立てて、
牛肉を食べようとしているであろうか。
【天候】
終日、曇り。
朝晩涼しく、過ごしやすい。