1318声 短詩民族

2011年08月10日

いま、一冊の本を読んでいる。
A4サイズで電話帳の如く分厚い、この本の名は、「短歌俳句川柳101年」と言う。
表紙には、「新潮・10月臨時増刊」と書いてあり、奥付の発行を確認すると、
平成5(1993)年10月30日と記載されている。
今日の帰りがけ、この本を古本屋の棚で見つけ、衝動買いしてきた。

内容は、短歌、俳句、川柳。
この三つの短詩型に於いて、「一年一句歌集」の原則の下、
1892年から1992年の100年間で、303句歌集を選出してある。
つまり、その年、短詩界で話題になった作品集が取り上げられているのである。
1892(明治5)年の短歌部門は樋口一葉から始まり、1992(平成5)年の坂井修一で終わる。
同じく俳句部門は、幸田露伴から始まり、田中裕明の「櫻姫譚」で終わる。
川柳部門は、明治時代の滑稽文の書き手、骨川道人(こっぴどうにん)選の川柳から始まり、
倉元朝世の「あざみ通信」で終わると言う、日本短詩界の壮大な系譜が描かれている。

この様な短詩に興味の無い読者諸氏は、ここまでの文章の漢字の多さに、
早々とうんざりしていると思う。
では、ここから、気になった年の実作を幾つか挙げて、紹介しようと思う。
一通り見ていて、やはり、明治の頃の短詩が興味深い。
何だか江戸の雰囲気を残しつつ、文明開化の色も強く出ている。
文芸は世相を反映するので、後の大正昭和と言う激動の時代の前の、
駘蕩としているけれども芳醇、そんな文化的で粋な歌や句が見られる。
中でも、ひとつ、20世紀の始まった年、1901(明治34)年を取り上げて見よう。

短歌部門は、教科書でも御馴染の、与謝野晶子の「みだれ髪」である。

くろ髪の千すぢの髪のみだれ髪かつおもひみだれおもひみだるる
むねの清水あふれてつひに濁りけり君の罪の子我も罪の子
清水へ祇園をよぎる櫻月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき

など、短歌好きならずとも、人々に膾炙した歌が多くある。
そして、俳句分門は、新聞「日本」で正岡子規に師事した、
佐藤紅緑の「滑稽俳句集」である。

雛を見に行けば婆アが出たりけり
宗匠の顔に嘔吐はけほととぎす
朝寒ぢや夜寒ぢや秋はくるるのぢや

など、自由奔放なおかしみを持った句が、精力的に読まれている。
最後に、川柳部門。
この部門が一番、当世を反映しているかも知れない。
当時、博文館より発行されていた文芸雑誌「文芸倶楽部」の、
読者投稿欄に掲載された句が紹介されている。
選者は、田村松魚と三宅青軒。

女房に白髪抜かせて妾宅へ
若武者を望んで後家は白髪染
髪結の癖に世間の噂ゆひ

など、短歌とは一線を画す艶っぽさと、俳句よりも大衆的な面白味がある。
なんだか、どれも落語的な印象を受ける。
短詩と日本人と言うのは、とても密接な関係を持ちながら、
現代まで受け継がれて来た事が分かる。
1922(大正11)年なんて、宮澤賢治、渡邊水巴、田中美津木である。
それを上げれば切りが無いが、ひとつ、ゆるぎなき事実。
私たちが、短詩(大好き)民族と言う事は間違いない。

【天候】
終日、苛烈な猛暑日。
熱帯夜。