5082声 熱中をせずにいて、足りない自分を自覚して、冷ややかになって

2022年04月08日

Youtubeで音楽もぽつぽつ聞いているので、おすすめに「NO WAR 0305 powered by 全感覚祭 – Documentary」という動画が出た。その日、新宿駅前で行われた音楽ライブのドキュメント映像。出ているアーティストは、僕が好きなアーティストでは踊ってばかりの国、折坂悠太、カネコアヤノ、坂口恭平、テニスコーツ、七尾旅人、原田郁子・・と大半がそうなのだが、内容としてはロシアによるウクライナ侵攻を批判する政治的な意味合いを含んだライブステージとなっている。

 

音楽と政治、若い頃の僕が熱中しなかったもの。音楽はもちろんTVの音楽番組を見たり、好きなCDをぽつぽつ買ったりはしていたが、ライブハウスやフェスへはほぼ行かなかった。政治はもちろん無関心。だから同世代なのにシュプレヒコールをあげて街を歩く若者が何を考えているのか取材をしに行ったこともあった。地元に帰ってきたら、昔も今もガチ自民党支持が多いことにようやく気付いたりしたが、とくに誰かやどこかの党に肩入れしたことはない。

 

映像では「あまちゃん」の音楽などでも知られる大友良英さんが登場。「(反戦という意味を込めて)僕は今日はノイズを演奏します。うるさいと思ったら耳を塞いでください。でもやります」といった事を言ってエレキギターをかき鳴らした。

 

30代、僕が同じような映像を見ていたら(現場にいたら)、反戦の声をあげることは必要だと思いはしつつも、シュブレヒコールであっても音楽ライブであっても熱中する若者を冷ややかにも見つつ、けれどむしろ色々が足りないのは自分なんだと自責の念も抱いていたと思う。冷ややかな思いと、無関心な自分に対する自責の念、それは戦争に対してまだ直接の関係をもたない世代であれば、僕に関わらずたいがいの人が抱く思いなのではないかとも思っている。

 

そして今。ほとんどテレビを見ない生活になってしまったが、それでも夜帰ってきてニュース番組を見るなどすると、これが今起きていることに心が痛むし、何かできることがあればとも思うが、若い頃、その後に比べると、自分事に重ねることがより難しくなってきている気がする。それに反して自分の周囲の事への意識は昔より強くなってきている気もする。それこそが加齢であり、外への関心は「意識をしないとどんどんなくなっていく」ものなのかもしれない。

 

全感覚祭の中心人物は、参加アーティストでもあるバンド、GEZANのマヒトゥ・ザ・ピーポー。見た目はヒッピーっぽいし馴染まない名前だが、楽曲提供やPVのディレクターを務めたり(僕が好きな寺尾紗穂さんのCDにも参加したり)、このようなイベントも開催させてしまう「時代と並走している人物」の一人だ。

 

やんないよりやったほうが良かった
言わないより言ったほうが良かった

 

動画の最後で彼はそう口にする。
今の僕は、やらない言わない自分を責める年齢も過ぎてしまった。
関心があるフリをして無関心を続けることが世の一般とも思っている。
でも、モヤモヤし続けている。