目が見えなくなった彫刻家、三輪途道さんのドキュメンタリーを作る。
三輪さんが代表を務めていた(一社)メノキの福西敏宏さんから提案をいただき、3年前から撮影を続けてきた。木彫作家として名を馳せていた三輪さん、目がみえなくなり粘土での制作に切り替え、その作品もここ数年県内外あちこちで展示されている。それが凄いね!というドキュメンタリーではない。三輪さん本人も了解のもと、うまくいかないことも含めて色々を撮影している。
今は、夏の展覧会に向けて光明皇后を制作している。三輪さんは学生時、東大寺の仏像の模刻をしており、そのつながりから光明皇后像を作ることになった。光明皇后は、日本で初めて福祉を行った、民の病に向き合った人として知られているらしい。(以下引用)
光明皇后でよく知られる話は、浴室での施療です。奈良市の平城京跡に隣接して、光明皇后が病人の治療のために建てたとされる法華寺がありますが、このなかに浴室が残されています。これは古くから「からふろ」と呼ばれており、サウナ風呂のような蒸し風呂だったのでしょう。光明皇后は「からふろ」で、千人の民の汚れを拭うという願を立てました。ところが、千人目の人は全身の皮膚から膿を出すハンセン病者で、皇后に膿を口で吸い出してくれるよう求めたため皇后が病人の膿を口で吸い出すと、たちまち病人は光り輝く如来の姿に変わったという逸話が残されています。(引用ここまで)
三輪さんのことはある程度撮ったと思っているが、知らないことはまだ多い。三輪さんはもう何年も、朝飯は抜き、昼はりんごと人参のすり下ろし、生野菜をミキサーにかけ絞った青汁、夜は昼と同じものと玄米、という食生活を続けている。とても真似できたものではないが、それを続けると睡眠時間も5時間あれば良く、すこぶる体調が良いのだそうだ。
と、そこまでは知っていたのだが、今日はその食事を作る様子をたまたま初めて撮影することができた。そこで三輪さんは「この食事を続けられる人は2つの条件がある。1つは、生きるためにこの食事が必要な人、もう1つは食べること以外に必死になれるものがある人」と話した。後者はわかる。彼女にとっては制作が、彫刻がそれにあたる。「1つめはどうなんですか?」と聞くと「目が見えなくなるとわかった時、医療でも針でも色々試してみた。この食事もその時に始めたの」と三輪さん。いつも気丈な人であるから、そういう弱さを忘れてしまうのだが、当時は藁にもすがる気持ちだったのだろう。この食事によって目が良くなることはなかったが、劇的に体が快調になる経験をし、それが今も残っているのだ。
いい場面が撮れた。そういう場面を集めたドキュメンタリーを作りたい。

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