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5179声 Evernoteと殿様ケンちゃん俳句手帳とツバメノート

2022年07月14日

平成25年の末に都々逸というもの知り、平成26年の1月にこっそりと都々逸をつくりはじめた。そして、2月から柳家紫文師匠を高崎に迎え、上州どどいつ部をはじめたのだが、その話は、いつかまとめたい。

 

都々逸をつくりはじめたとき、既にスマホを使っていた。なので、自然とスマホで都々逸をつくることとなる。アプリは、GooglekeepとEvernoteを試し、ほどなくEvernoteに落ち着き、気がつけば有料ユーザーとなり、今、この『鶴のひとこえ』の下書きもEvernoteで書いている。

 

俳句をそれなりにちゃんとはじめたのは、令和元年の10月、『若竹』の主宰加古宗也先生に誘われてからなので、当然俳句もEvernoteでつくった。

 

Evernoteは、その名の通り過去の記録がすべて検索できるので、ちょっと検索してみたら、平成27年くらいから、都々逸のあいまに俳句もつくっていたことがわかった。ただし、そのほとんどが自由律だった。なので、有季定型の俳句をつくりはじめたのは、やはり令和元年からだ。

 

 

その令和元年、俳句をはじめたとき、もうひとつの道具を導入した。紙のノートだ。俳句に便利なノートを探したところ、『殿様ケンちゃん俳句手帳』なるものを見つけ、購入。なかなか使いがってがよく気に入っていたのだが、表紙が黒のものが手に入らなくなり、11冊で終了。ツバメノートの縦罫線のA6判ノートに乗り換えた。

 

 

スマホだとどうしても横書きになってしまうので、縦書きしたくて、紙のノートを導入したのだが、投句の下書きとしても都合が良くて、このスタイルが定着している。今後、Evernoteが縦書きに対応したり、もっと画期的でサクサク縦書きできる俳句アプリなどができれば、句作のスタイルは変わるかもしれないが、しばらくは、Evernoteとツバメノートを道具として、俳句をつくっていきたいとおもう。

5172声 七夕と俳句と友人

2022年07月07日

 

銀漢て 銀河のことか くだらない

 

『知的生産の技術』の著者で、民俗学者の梅棹忠夫の俳句だ。この俳句で梅棹は、破門をいいわたされた。

 

 

「わたしはそれ以後、ニどと俳句に手をだしていない。」

のだそうだ。

 

 

「東京マッハ」でなら、とる選者もいるのではないか。梅棹ほどの人が俳句を続けなかったのは、かなりもったいないことだったとおもう。

 

梅棹は、『知的生産の技術』のまえがきで次のように述べている。

「わたしは、わかいときから友だち運にめぐまれていたと、自分ではおもっている。学生時代から、たくさんのすぐれた友人たちにかこまれて、先生よりもむしろ、それらの友人たちから、さまざまな知恵を、どっさりまなびとった。」

 

そんな友人にめぐまれた梅棹だったが、俳句仲間にはめぐまれなかった。

 

俳句は誰とやるかがなかなか重要である。

 

 

 

さて、本日は7月7日の七夕。

ということで、梅棹忠夫の「銀漢」の句を紹介してみた。天の川(銀河、銀漢)は、七夕伝説と結びつき、万葉のころから詠まれている。

天の川では、松尾芭蕉の次の句が有名である。

 

あらうみや佐渡に横たふ天の川  芭蕉

 

 

こんな句、詠んでみたい。

 

ところで、七夕も天の川も、歳時記では秋に分類される。新暦で七夕をすると、これらが秋という実感はまったくない。例によって、実感とずれている季語だ。

 

仙台七夕まつりは旧暦で開催されるけれど、8月7日あたりでも、秋といわれてもね、とおもうくらい実感としては夏だ。まあ、そういうものとして楽しみましょう。

 

せっかくなので、上州どどいつ部の名作から、お題「七夕」の都々逸を紹介したい。迷道院さんの五字冠(ごじかむり)、つまり五・七・七・七・五の都々逸です。

 

・都々逸

ひこぼしも 寄る年波で 夜道に迷い

危うく三途の 川渡る   迷道院

 

迷作のほうもどうぞ。

 

・都々逸

笹に託した 願いがかなう

これがいわゆる 棚ぼたか   喰粋

 

 

梅棹さん、都々逸やればよかったのに。

5135声 言い訳

2022年05月31日

テレ東大学のRe:Hackのビックダディこと林下清志さんの回に感銘を受けた。林下さんは何事か成すために産まれた男だと幼少期から思った早熟系の男子だったが、高校時代に、周囲と比べ自分の才能の限界に気づき、成せることなどたかが知れていると思っていた。ただ、子どもが生まれた時に自分の人生を駅伝のように考えるようになったと。俺はこの子らが、自分でご飯を食べられるようになるまで育てるということ。これだけで自分の役目としては十分で、そう考えられたときに人生が気楽になったと。私は、基本的に人が生きていることに特別な意味はないと思っているが、自分の人生という箱だけで色々と完結して考えようとすると、苦しくなることが多いと思う。たまたま子どもを授かっただけだが、孫子の時間軸ぐらいまで、自然と思考の時間軸が伸びている。伸びた分だけ、現在のタガもゆるくなって、帰りにらーめん次郎を食べてしまった。はい、ただの壮大な言い訳です。

5133声 忘却の彼方

2022年05月29日

娘が10ヶ月で初めて母から離れ、保育園に行き始めた時、我々も非常に心配したし、妻は預けた初日、何をして良いか分からず、なぜかワインを泣きながら飲んでた。そんな娘は、保育園で大好きな先生ができて、その先生の後をハイハイでいつも追っていたそうだ。初めての場所で藁をもつかむ気持ちで、母なるものを見つけたのだろう。その先生も娘をとてもかわいがってくてれ、園でも仲良しの2人だった。その先生は3月で退職されたのだが、運動会には来賓という形で出席されていた。始めは席に着かれて応援していたが、プログラムも後半に迫る中、家の娘のところまで来てくれ「○ちゃんに会いたくてきたのよ。」と笑いかけてくれた。他人の私でもホロッと来そうな優しいまなざしであった。が、元祖塩対応の輪が娘は、僅か2ヶ月で完全に先生を忘れており、抱きかかえられると泣いて嫌がるという有様。いや~私も2ヶ月会わなかったら同じ運命だろうと思うとゾッとした。

5129声 宮仕え

2022年05月25日

昨日から議会の答弁協議。今回の上の上司はなかなか細かい。約10稿までして明日に持ち越し。それでも上司を残して残業しないで帰る。明日の朝一で修正すればほぼ終わりだし。言われたとおり原稿を直して、印刷してチェックし、また修正。この繰り返し。久々に宮仕えっぽい仕事してるなと、なんとなく笑える。

5115声 次は冬?

2022年05月11日

ここからは撤収作業。料理につかった調理道具や皿を洗い天日干しにしている間に、火のしまつやタープ、テントなどを片付けていく。帰りは、食材と薪の分だけ荷物が確実に減っているのが良い。妻は娘をあやしながら、寝袋やエアーマットを綺麗に収納してくれる。相変わらずできる人で助かる。また、助手席まで高く荷物を積み上げて帰宅の途に。「なかなか楽しかったと」妻。嬉しくなって「次はいつ行く?」と聞いたら。「冬ぐらい」だって。謙虚にも程がある。来月にはまた連れてくよ~

5115声 次は冬…

2022年05月11日

ここからは撤収作業。料理につかった調理道具や皿をあらい天日干しにしている間に、火のしまつやタープ、テントなどを片付けていく。帰りは、食材と薪の分だけ荷物が確実に減っているのが良い。妻は娘をあやしながら、寝袋やエアーマットを綺麗に収納してくれる。相変わらずできる人で助かる。また、助手席まで高く荷物を積み上げて帰宅の途に。「なかなか楽しかったと」妻。嬉しくなって「次はいつ行く?」と聞いたら。「冬ぐらい」だって。謙虚にも程がある。来月にはまた行きましょう。

5082声 熱中をせずにいて、足りない自分を自覚して、冷ややかになって

2022年04月08日

Youtubeで音楽もぽつぽつ聞いているので、おすすめに「NO WAR 0305 powered by 全感覚祭 – Documentary」という動画が出た。その日、新宿駅前で行われた音楽ライブのドキュメント映像。出ているアーティストは、僕が好きなアーティストでは踊ってばかりの国、折坂悠太、カネコアヤノ、坂口恭平、テニスコーツ、七尾旅人、原田郁子・・と大半がそうなのだが、内容としてはロシアによるウクライナ侵攻を批判する政治的な意味合いを含んだライブステージとなっている。

 

音楽と政治、若い頃の僕が熱中しなかったもの。音楽はもちろんTVの音楽番組を見たり、好きなCDをぽつぽつ買ったりはしていたが、ライブハウスやフェスへはほぼ行かなかった。政治はもちろん無関心。だから同世代なのにシュプレヒコールをあげて街を歩く若者が何を考えているのか取材をしに行ったこともあった。地元に帰ってきたら、昔も今もガチ自民党支持が多いことにようやく気付いたりしたが、とくに誰かやどこかの党に肩入れしたことはない。

 

映像では「あまちゃん」の音楽などでも知られる大友良英さんが登場。「(反戦という意味を込めて)僕は今日はノイズを演奏します。うるさいと思ったら耳を塞いでください。でもやります」といった事を言ってエレキギターをかき鳴らした。

 

30代、僕が同じような映像を見ていたら(現場にいたら)、反戦の声をあげることは必要だと思いはしつつも、シュブレヒコールであっても音楽ライブであっても熱中する若者を冷ややかにも見つつ、けれどむしろ色々が足りないのは自分なんだと自責の念も抱いていたと思う。冷ややかな思いと、無関心な自分に対する自責の念、それは戦争に対してまだ直接の関係をもたない世代であれば、僕に関わらずたいがいの人が抱く思いなのではないかとも思っている。

 

そして今。ほとんどテレビを見ない生活になってしまったが、それでも夜帰ってきてニュース番組を見るなどすると、これが今起きていることに心が痛むし、何かできることがあればとも思うが、若い頃、その後に比べると、自分事に重ねることがより難しくなってきている気がする。それに反して自分の周囲の事への意識は昔より強くなってきている気もする。それこそが加齢であり、外への関心は「意識をしないとどんどんなくなっていく」ものなのかもしれない。

 

全感覚祭の中心人物は、参加アーティストでもあるバンド、GEZANのマヒトゥ・ザ・ピーポー。見た目はヒッピーっぽいし馴染まない名前だが、楽曲提供やPVのディレクターを務めたり(僕が好きな寺尾紗穂さんのCDにも参加したり)、このようなイベントも開催させてしまう「時代と並走している人物」の一人だ。

 

やんないよりやったほうが良かった
言わないより言ったほうが良かった

 

動画の最後で彼はそう口にする。
今の僕は、やらない言わない自分を責める年齢も過ぎてしまった。
関心があるフリをして無関心を続けることが世の一般とも思っている。
でも、モヤモヤし続けている。

5027声 祝!藤井五冠とロコ・ソラーレと羊羹

2022年02月12日

 

藤井聡太竜王が、王将を奪取し、史上最年少五冠となった。AIの予想を覆す天才ぶりは、Z世代の代表だ。今後、他の分野でもZ世代から凄い人が現れるだろう。今から、楽しみだ。

 

ところで、その藤井さんがおやつで食べたのは、羊羹(ようかん)だ。こんなに昼食とか、おやつが話題になる十代もいないだろう。藤井さんも大変だ。その藤井さんが食べた羊羹は、品切れらしい。羊羹好きのわたしとしても気になる。

 

話は変わるが、昨日、北京オリンピックのカーリング女子日本代表、ロコ・ソラーレの吉田知那美選手がもぐもぐタイムに羊羹を食べている様子が見られた。こちらも羊羹だ。

 

ロコ・ソラーレは本日2連勝。通算では3連勝、素晴らしい。

ROC戦は、とても白熱したフォーマンスだったが、羊羹パワー(たぶん)で逆転勝利。わたしも羊羹をあてに、呑みながらの応援だった。

5021声 鎌倉殿の13人

2022年02月06日

最近、週に2度は通う蕎麦屋に2枚の色紙が貼ってある。
西村雅彦と山本耕史の2枚だ。
経緯は不明だが、とにかくその2枚の色紙があるのである。色褪せた写真もそえられている。その色褪せた写真の中で微笑んでいる山本耕史が三浦義村役で出演しているのが、NHKの大河ドラマ『鎌倉殿の13人』。
三谷幸喜の脚本、源頼朝役が大泉洋ということもあり、随所で笑えるつくりとなっている。伊東とか三浦とか、地名に残っている人物が出てくるのも面白い。本日第5回まで終わった。しばらく楽しめそうである。

4681声 久々の同期飲み

2021年12月28日

今日は終日子供と遊ぶ。夜は職場の同期との忘年会。2年ぶり。さすがに語られなかった話題もおおく、良いことも悪いことも腹蔵なくしゃべった。入庁してちょうど20年。同期はありがたい存在。出産のお祝いもいただく。

4671声 初雪

2021年12月18日

起きたら一面銀世界。娘にとって初めての雪。子供を抱きながら庭にでる。雪を掬って触らせたが、あんまりピンと来てないよう。ほっぺに雪を触れさせてみたらキャッキャと笑って喜んだ。そのまま、サンダルで雪中炊き火に突入したが、指先の寒さに、家の中から炊き火を見て過ごす。妻は出勤したので、じじばばは孫を独占できて楽しそう。てか、他人の家に来てもわが娘はお構いなしに家を荒らしている。母ちゃんに俺もこんなだったと聞くと、同じようなものだったらしい。子育てするとしみじみ分かる親のありがたさ。

4695声 舞

2021年12月12日

昨日外で遊んだので今日は家の掃除など。妻と私は相手の作業を見て被らないよう、優先度の高い家事から片付けていく。1時間あればかなりの作業ができる。一対の舞のようだと思っている。

4693声 登園

2021年12月10日

子供は無事に登園。妻が保育園に送って行った時に、迎えの先生に手を差し出したとのこと。だんだん慣れてきたよう。0歳児で知らない場所に適応していく我が子をたくましく思う。

4685声 保育園デビュー

2021年12月02日

今月より妻が職場に復帰した。それに先立ち、娘は10カ月という齢で、1カ月前から慣らし保育ということで保育園に通い始めている。初めは2時間から、月末には8時~17時までになる。最後の方は帰ってくるとよほど疲れているらしく不機嫌であったり、母親から一時も離れたくないと執着するなど、さすがに保育園は早すぎたかなと思ったが、まぁ復帰時期は妻の判断であり、私は妻の判断力を信用しているのでなんとか落ち着くと思っている。

4659声 寒さの境目

2021年11月06日

今朝、布団の中で目を覚ましただけで寒さを感じた。スイッチを押すように明らかに季節が変わった。

 

最近やたら追いかけられる夢を見る。仕事のBGMとしてゲーム実況を流しているからかもしれないが、昨夜はビルの最上階から敵の攻撃を掻い潜って地上へ抜け出た。夢の中では、僕はわりと俊敏なのだ。

 

ゲーム実況のせいだけではなく、無意識にも有意識にも幾つか逃げたい事があるのだと思う。現実では、僕はわりと憂鬱なのだ。

4847声 山形の思い出2

2021年07月17日

山形ドキュメンタリー映画祭には、はじめは学生時に客として参加し、のちには群馬に戻った後も客として参加したが、その間には東京事務局のスタッフとしてアルバイトをし、雑用全般として山形入りした時もあった。2003年だったろうか。

 

山形は当初から国際映画祭である。昔も今も英語はからきしなので、事務局にいてふいに英語で電話がかかってくるとたいそう慌てた。「Sorry,just morment.」みたいなことを言って英語ができるスタッフに変わってもらったような記憶がある。そんな僕が、映画祭開始直前、成田空港だったか、飛行機で来日した映画関係者を山形へ向かう新幹線に誘導する、という役を与えられてしまった。今思っても背筋が凍る。が、それを越えたのは・・無知の若さであった。「This train is slow.Next train is very first.Please waiting.」みたいな独自な言い回しで、鈍行と急行を知らせたような記憶がある。

 

もちろん、きちんとした映画祭である山形が僕だけにそんな大役をさせるわけがない。主要スタッフはその時すでに山形に行っていたが、英語ができる社会人ボランティアたちが主力で働いていた。僕と組んでくれたCさんもその一人で、英語は堪能。とはいえ海外ゲストの誘導は始めてだったようで2人、階段を登り降りしながらひたすら奮闘した記憶がある。きれいな人だった。最後の1人を送り出した後は彼女と思わずハイタッチをしたくなったが、恥ずかしくて出来なかったような記憶がある。

 

 

今日、撮影で山形市内を回っていて、山形国際ドキュメンタリー映画祭の名物であった香味庵(毎日の映画上映終了後に監督も観客も垣根なく集まって、芋煮と日本酒を囲みながら意見を熱く交わした場所)があった場所を通った。「ここは、老舗だった漬物屋があった場所です。すでにタワーマンションが建設中となっています」とのこと。駅近くの老舗漬物屋と聞いてすぐに香味庵があった場所だとひらめいたが、僕の記憶の中とは建物の景観は当然として、その周辺の通りも全く変わっていた(ここに限らず道路も拡張整備が行われているとのこと)。もう、当時の面影は全く残っていない。

 

山形へゲストを送った後には僕も雑用全般要因として山形へ向かった。やることは結構あったが、来慣れてはいない山形の新鮮さや、映画の側にいられるという興奮も相まって、英語のプレッシャーもなく(そういう仕事は僕には来ないので)のびのびとやっていたと思う。そしてCさんも、せっかく関わった映画祭だからと山形に来ていた。

 

せっかく来ているならと、Cさんを香味庵に誘った記憶がある。何を話したかは覚えていない。だが、僕は明らかに好意を持っていた。そして。映画祭も終わり当時住んでいた神奈川に戻ってからも1度Cさんを映画に誘ったことがあった。英語堪能で意識の高い彼女は、僕が手帳を持っていないということをとても驚いていた。だからと言って見下すような人ではなかったが、僕はそれ以降連絡する手が止まってしまった。どう生きていくか悩んでいた時期でそれ優先だったこともあるが、手帳もないような、空白ばかりの当時の僕には、彼女をまた誘えるような自信が何一つなかったのだ。

 

今日、姿形もなくなった香味庵を見て、ぼんやりとそんな20年くらい前のことを思い出して、ふと「様々な状況によって建物も道も町も壊され変わってしまうが、思い出は多分死ぬまで残る。ならば思い出ほど壊れにくいものはないのではないか」と思った。とはいえ、吹けば飛ぶような、何があったわけでもない、ただの思い出なのだけれど。

4837声 note

2021年07月06日

フェイスブックもツイッターもインスタも、はじめてある程度長いが「残らんなぁ」と思っていた。わざわざ遡って投稿を読んでくれる人なんてほぼいないし、それは投稿内容が面白いかつまらないかという核心以外にも「そもそもそれらSNSは流れるものであり、今、に特化している」という特性がある気がする。とはいえ、今頃サイトやブログでネットの海に一人船を漕ぎだす余力もない。

 

noteというSNSは、一般の利用者はもちろん、今後のヒットをねらう漫画家やライターに支持されているサービスだ。記事を読むのに有料化もできる。それ以外にも「文章が読みやすい」という特性がある。アカウントをとって何年か放置していたが、昨年末あたりからか、「残したい文章」はそちらにも残すことにした。

 

岡安賢一|note

 

文章を書くこと。それは明らかにここ「めっかった群馬」で鍛えられた。月ごとの担当なのだが、月終わりの2日間で、何か書くものはと思い出して30個の投稿を書いた時もあった(よい子は真似しないでね)。そんなおかげで最近は書くことも仕事になりつつあるのだが、まぁ・・何事もそうだけどきちんとやろうとすると先は果てしないんだよね。でも、書きたいと思っているうちは、書いていこうと思う。