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3693声 鮪人

2016年12月19日

浅草散歩のついでに鮪人も寄ってみる。前は立ち食いで、ネタの割に安く食べられる店だった。今は移転し、回ってるのを座って食べる店になっていた。立ってならつまむだけど、座ったら冷酒の2合は飲むよね。腹くちくなり次を断念。

3664声 ひかりのたび

2016年11月20日

澤田サンダー監督『ひかりのたび』

 

このタイトルを、覚えておいてほしいと思う。伊参スタジオ映画祭では毎年全国から映画シナリオを公募、中編短編の最優秀作品に賞金贈呈と映画化の手伝いを行うのだが、澤田監督はシナリオ公募始まって以来の「2度目の大賞受賞」となった。

 

その審査会では、作家の横山秀夫さんはじめ審査員の皆さんが「同じ監督に2度賞を与えるのは良くない」という意見を口にした。けれど、それを抑えこむくらいに、『ひかりのたび』のシナリオは良かった。僕もまた、ハッピーでもないし大きな動きがあるわけでもない、むしろローテンションながらふつふつと感情がほとばしり、田舎町のごく小さな人間関係を描きながら、2010年代の時代の空気も纏ったような・・そのシナリオに魅了された。

 

伊参スタジオ映画祭3日目、昨年の短編大賞作品・船越凡平監督『とっとこ将太』(この作品も、沢渡温泉で撮影され子ども目線の人情話にジンとくる良作です)の上映に続き、『ひかりのたび』が上映された。上映後の監督・キャストを壇上に上げてのトークは僕が司会をしたのだが、映画をはじめて観たキャストの一人がこう言った。「シナリオがすごいと思っていましたが、出来上がった映画はそれ以上でした」と。

 

めっかった群馬は、映画について言及する場ではなく、酒をちびりやってぽつらぽつら呟く場であるので(確かそうですよね)ここらへんにしておくが、この上映に留まらず、話題に上がる映画に育っていくに違いない。一般上映に向けてのクラウドファンディングも始まっているので、なんだか気になった方は読むだけでも読んでください!

 

『ひかりのたび』劇場公開プロジェクト
https://motion-gallery.net/projects/hikarinotabi

3648声 命がたぎる

2016年11月04日

世では「君の膵臓を食べたい」なるタイトルの小説が流行ったらしいが(ハンニバルな内容でななさそう)、「鯨の膵臓」をもらって食べた。希少かつ高級品である。ごま油と塩をつけ口に含む。レバ刺しのような食感で、後に甘さがくる。美味しいのだけれど、言葉にしにくい味。鯨の本皮も食べさせてもらった。酢味噌をつけてペロリ。肉とも魚とも違う絶妙なあぶら感。

 

最近、地味な風邪をひいていて、体調が停滞していたのだけれど、それら鯨を食べた翌日はよく体が動いた。精がつく、ということなのかもしれない。バッと想像を広げれば、山で暮らす先人は熊でも鹿でも食べて精をつけた(今でも六合のてっぽうぶち(猟友会)の人は食べてるけど)イヌイットの人は、過酷な環境下においてアザラシも食べるらしい。そういった生命力のある動物の命を体に取り入れると、命がたぎる、ということを知っていたからではないのか。

 

ちなみに、僕個人で「これは効く」という食べものは、行者ニンニク。大量にもらった時に炒め物にしたら、翌日勢いがとまらなかった。人は年を経てそういった食べものに惹かれていくのかもしれない。そうだ思い出した、おならもとまらなかった。

3578声 シンキチ醸造所③

2016年08月26日

しかも、行けば堀さんに会えるのだから、これは楽しい。久々に堀さんの料理食べた感じがしたが、やっぱり旨い。そして落ち着く。ビアの醸造は早くて年末とのこと。堀さんがどんなビアを造るのか楽しみであるが、飲み屋としても良い店である。

3571声 県民性

2016年08月19日

作新学院が甲子園で優勝した。秋も春も県大会で優勝できなかったチームが、1戦ごとに力を進化を続けた結果とのこと。ちなみに優勝した瞬間、たまたまJR宇都宮に居り、地元民の歓喜の瞬間が見られるかと期待したが、歓声を挙げる人もなく、何も変わらず。。栃木県の方は奥ゆかしいのかな。

3553声 ビール界隈

2016年07月31日

「ザブン」の売上も好調げな堀澤さんが、この度高崎市若松町に「シンキチ醸造所」なるクラフトビールの醸造所を立ち上げてしまうそうです。ビール作りはまだ先だけど、店はオープンさせてよそのクラフトビールを飲むことができるようにするそう。その行動力と酒に捧げる覚悟、流石ですね。

 

抜井さんもきっと猛暑の7・8月、毎晩のようにビールを飲んでは言葉を探していることでしょう。そんでもって次にバトンタッチするすーさんには、先日「ザブン」で(会ったのはその界隈だけど)バッタリ。余すことなくビールを愛でられているようです。

 

つまりは、めっかった群馬。僕以外の3人皆がビール界隈で生きているのです。オセロ的に言えば、僕ももう毎日浴びるようにビールを飲むしかないのだろうね。仕方なくね。

 

それでは、ビール界隈にいるすーさんにバトンタッチします。皆さんまたいつか!

 

シンキチ醸造所
https://www.facebook.com/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%81%E9%86%B8%E9%80%A0%E6%89%80-1705574396327041/home

3536声 うめまつ

2016年07月14日

「中之条町のおいしいものは何ですか?」

 

と聞かれるとやや困る。六合の「野のや」と「くれさか」の蕎麦は絶対におすすめだし、おしゃれそうな女子に聞かれれば伊勢町の「山乃気」の水を使わず果実で作ったカレーはおしゃれだぜ、と答えたり、少しでも僕と似た空気(体形?)の人には「らーめんダイニング庵」のラーメンは、良い、とプッシュしたりはするのだが、万人が言う「中之条ならこの店」はなかなかないのではと思う。

 

そんな中でも多分上位になるのが、伊勢町の「うめまつ」だ。ここは蒸し焼きにしたようなわりと太麺な焼きそばがメイン。今時期は種類豊富でいい氷を使っているかき氷が食べられて、ところてんもある。冬は鯛焼きも焼く。つまりは地元に愛される昔ながらの店、今で言うところの「中之条のソウルフード」的な位置付けだ。

 

この時期、かき氷がうまい。僕が好きなのは甘い茹で小豆を氷の中に忍ばせ、たっぷりの練乳がかかった「ミルクあずき」。刺さったスプーンを抜くと氷がこぼれる位、山盛りに削られた氷。シャクシャクと口にかっこむと、口から喉もとにかけて涼が通りすぎる。そして頭にキーンという痛み。書いてて今、行きたくなったよ。

 

ちなみに、この店には同級生がいた。もちろん仲が良かったからだけど、小学生のころは嬉々としてこの家に遊びに行ったものだ。だって、お昼の時間になると、焼きそばが出てくるんだもの!でもその同級生も弟も、町外で仕事をしており、お父さんお母さんが焼きそばを焼かなくなった時は・・なんて野暮な事は言わずに、また足を運ぼうと思う。

3530声 夏が来れば②

2016年07月08日

梁、をご存じだろうか。「はり」ではなくて、ここでは「やな」と読む。

 

渋川市の利根川の岸に「落合梁(おちあいやな)」という店があり、ここではこれからの季節、鮎や鯉の料理が食べられる。川を見下ろす開放的な店内には川のせせらぎが聞こえ涼を演出し、焼き場では炭の周りに円を描くように並べられた串刺しの鮎が、パチパチと美味しそうな音をさせている。

 

僕の親父は渋川の魚屋に長年勤めていた。渋川や高崎、築地から届く魚を店でさばき、伊香保や四万へ運ぶ仕事だった。夏休みで家にいると、3時くらいに配達途中の親父が家によっては茶を飲み庭に水やりをしていた記憶がある。魚を運ぶ白いバンは魚くさくて、乗るのが嫌だった。

 

親父は庭で炭を熾して自分で鮎を焼いてしまう人だったが、渋川に住む親父の母親が生きていたころなどは毎年のように落合梁へ家族を連れていった。僕は小学校低学年だろうか、魚よりは肉が好きだったけど、焼きたての鮎はおいしくて、川原に降りては川に敷かれたすだれに鮎が跳ねる様子を見た記憶がある。

 

去年、母や姉家族と十数年ぶりに落合梁へ行った。時期が良かったせいもあると思うが、以前のように賑わっていた。ふと、鮎の焼き方教わっておくべきだったな、と思った。それどころか僕は、鯵のおろし方ひとつ教わらなかった。親子とは、そういうのもなのだとも思うが。

3474声 残せているかどうか

2016年05月13日

白鵬のダメ押しのニュース。
以前は、2、3年前まではこういう話はなかった気がしている。
白鵬は自律的な横綱だった。
年齢から考えればありえないくらいに。
一人横綱を長く勤めてきて、タガが外れたのか。
相撲協会の息苦しさや体力的な余裕のなさもあるかもしれない。
こうなると、白鵬だけの問題にしていてもなかなか解決しない。
相撲協会のわけのわからない窮屈さを、それはもう現代っ子にはわけがわからないものになってしまっているんだということを相撲協会が気がついて、ひょっとしたら自分たちもよくわかってないんじゃないかと疑って、何か手を打たないと、力士は萎縮するか開き直るかするしかない。
親方衆は世間知らずだから難しいに違いないが、そんなことを言っている場合ではないので、やらないと。
立川談志が落語を内容から疑ったように。
自分にも他人にも説明が必要な時代になっているのは日に日にそうなっている気がするけれど、それが幸せかどうかはわからないが、残すためには必要、なのだと思う。
伝統文化にまつわる行動基準の説明や、なぜそうでなければいけないのかはあまり語られない。
なぜそうでなければいけないかには説得力がないとならないわけだけれど、もしかしたらその理由は説得力をもはや失っていて、君たちにはわからないかもしれないけれどこの行動基準にはこれこれこういう理由があるんだけど私は残したい、というような、それが願望になってしまっているような場合だって、伝統を背景にした行動基準の説明にはもはやよくある話だと思う。
行動基準とは、脳的に言えば了見である。
了見を理解できなければ、なぜダメ押しがダメかはわからない。
その前に、この了見は適切か、という、そんな議論も必要なのかもしれない。
だから伝統文化にまつわる行動基準の話をするならば、ということもそうだがそればかりでなく、そんな格式のある場合でなくたって、人一人40年も生きれば行動基準はできてくるわけで、この後に及んで何かを残したいならば、了見を伝えないと、大事なところが残らない。
大事なところが残っていない、ということは、残っていない、ということと同じである。

3745声 セキネ洋傘店

2016年04月14日

思い出の着物で日傘を作りませんか。

これがこの店のキャッチフレーズ。

今では県内で唯一残る、傘の制作や補修を行う専門店。

昭和のまま止まったような、弁天通りの奥に、カラフルな傘を店先に並べてある。

店の奥で御年80歳を超えるご主人がミシンで傘を作っている。

その佇まいがえも言われぬ風情がある。

通り過ぎるだけでは分からない、商店街に残る匠の技。

 

2707声 デイ・ドリーム・ビリーバー

2016年03月07日

今やすっかりセブンイレブンの歌になってしまったが、忌野清志郎がカバーし日本語の歌詞をつけた「デイ・ドリーム・ビリーバー」という曲が好きだ。その時代に聞いたわけではないけれど、忌野清志郎のライブは1度観ることができて、なんだろう、直に観ておいて良かったと思っている。

 

朝のラジオでダイアモンドユカイが「「デイ・ドリーム・ビリーバー」は清志郎さんが亡くなった母を想って書いた曲なんですけどね」と話していた。清志郎さんは母が亡くなった際に、母だと思っていた人は実は母の姉で、実際の母は彼が3歳の時に死んでしまっていた、ということを聞かされたらしい。

 

ずっと夢を見て安心してた
僕はデイ・ドリーム・ビリーバー
そんで彼女はクイーン

 

この歌を聞いて僕はずっと「別れた彼女の事を歌った歌」だと思っていた。まあ歌は聞いた人がどう解釈しても自由なものだと思うし、別れた彼女にしろ母親にしろ、男は所詮女性の手のひらの中にある、ということでは同じという気もする。

2591声 初雪 

2015年11月12日

本日草津。湯畑にて初雪。一茶の碑あり。湯けむりにふすぼりもせず月の貌

2474声 リゾート

2015年07月18日

人間、一年に1回ぐらいはリゾートに行くべきという人がいるが
全く賛成である。
もちろん年に1度行ける程、贅沢な身分ではない。
ただ、今年の夏は心の底から、南国で弛緩したいと欲している。

2471声 山ビア

2015年07月16日

厳しい登山の後のビールは格別なのではないか。
そう思い立ったので、登山をすることにした。
ただ、飲むので野営をしなければならない。
水、食料、テント、シュラフなど10kgを超える荷物である。
ここにビアが追加される。
登山素人としては、各種の装備を揃えるのに散財したが
山頂での極上の一杯のためなら致し方ない。
簡単、手軽な登山料理のことを「山メシ」と言うらしい。
温くても旨いビアと、気の利いた山メシを熟考している。

2468声 陰影

2015年07月13日

2月に一度、自分の好きな本と持ち寄って書評する会がある。
先日、プラトンの「パイドロス」をプレゼンした女性に、
ギリシャはなぜ、哲学発祥の地となったと思うかと問うた。
その女性曰く「ギリシャは光が眩く強い。その光の強さ故に影も濃い。

その光と影のコントラストが、哲学を生んだのではないか」と。

素敵な返しであった。
その晩、その女性も含めて、女性の陰影、特に影(腹黒さともいう)について
飲みながら語った。愉快な夜であった。

2465声 腰痛

2015年07月09日

慢性腰痛の9割が実は幻の痛みらしい。

痛いと脳が感じてしまう症状とのこと。

脳の痛みを鎮静させてる機能が、腰痛への恐怖により

働きが抑制され言わば幻の痛みを感じるそうだ。

NHKスペシャルである。

テレビは全く自分の興味のない知識を与えてくれる。

自分の興味のあることだけ選択して摂取していたら、たこつぼ化する。

そんな人間が増えてる気がする。

2459声 読書

2015年07月03日

本を読むということは2種類ある。

既知を読むことと、未知を読むことである。

未知を読むということは、岸壁をよじ登るような困難がある。

昔の漢学の素読がまさにそれである。

2447声 ZINPHONY

2015年06月21日

Zine(ジン)というものをご存じだろうか。
出版社ではなく、個人がハンドメイドで作る小冊子、
書く内容も、本としての装丁も自分で考え作る小冊子のことだ。

 

東京などではこれを集めた販売会イベントが行われており、
高崎でも「ZINPHONY」(ジンフォニー)という名前で不定期開催されている。
次は6/27(土)28(日)に高崎・SNARK3階での開催だ。

 

僕はなんだかこのイベントが好きで、過去にも
「自分史をめっちゃ絡めた、にほひたつような極私的映画コラム集」
「この鶴のひとこえコラムから、(ぬ)と(ほ)の僕が思うベストの抜粋冊子」
を販売させてもらった。後者は、他人のふんどしで相撲を取る作戦である(笑)
そのわずかな売上で、正月の「お気楽俳句ing」ではわずかなビールをシェアした。

 

今回僕は「自炊式カレーZine」なるものを出展する。
自炊式カレーとは、一度は見たことあるかな、スーパーの惣菜コーナーで
売っている、じぶんでしゃもじやお玉をもってよそうカレーのことである。
なぜそんなものを小冊子にするのか?

 

1杯198円(税込)という安さから、本気で昼ごはんとして食べていたが、
ある日ふとこれにコロッケや豚カツ以外を乗せたらおもしろいんじゃないかと。
それ以降、そのスーパー内で買えるもの限定で、焼き芋や駄菓子のビックカツ、
鰻やソフトクリーム(ネットに書いてあったんだよ)を乗せて食べてみた。
「その写真や感想を本みたいにまとめるのだ」と思うと、楽しさも増す。

 

そしてこのコラムのおかげもあり最近「文を書くこと」に関心があり、
「僕の隣で自炊式カレーを食べているおじさんは実は・・」という妄想から、
小説も書いてみた。それをA3用紙表裏に印刷し、八折にして出来上がり。

 

日々の生活の中で「表現したい」という気持ちが沸き上がることはないだろうか?
それを、ネット上のデータではなく小冊子という「モノ」として形にする。
それが誰かの手に渡り、同じように誰かが作った小さな「表現欲求」に触れる。
それは「大事に書いた手紙のやりとり」に近いものがある。

 

僕にとってはそれが、とても面白い。

 

ZINPHONY