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5853声 急な土砂降り

2024年06月16日

今日は妻が副担当の展示会最終日。子供向けのワークショップもあるので、電車に乗って
娘とアーツに向かう。桐生から5才と7才の従姉弟も合流してくれた。3才の娘にとって
憧れのお姉さんお兄さん。いつも遊んで貰っている。アクリル板に白いボンドを垂らし、
その雲のようなボンドに水性絵の具で色を足していくというワークショップ。娘は大胆な
方なので大量のボンドを投入して雲と雲がつながり大きな島みたいになっていた。色も大
胆に入れていく。作品は前橋七夕祭りで飾られるそうだ。駅前の温泉で汗を流し、そのま
ま夕飯と晩酌。牛乳と生ビールで乾杯。帰りの電車で寝てしまい石のように重たくなった
娘。急な土砂降りの中、濡れぬよう傘を差しつつ、娘を抱いてやっとの思いで帰宅した。

5838声 お詫び

2024年06月01日

岡安君に会った。寺尾紗穂さんのコンサートが北軽井沢であり、彼は撮影兼運営スタッフとして来ていた。吾妻地区のアートイベントには必ず彼が居る。そこで衝撃の話をされた。

「すーさん、今月のひとこえ担当ですよ。」

「え?俺??嘘?マジで忘れてた…今日って何日…」

「6月30日です…」
流石にキレイに1ヶ月忘れてたのは初めてである。夏休みの日記を8月31日に泣きながら書いたアレ以来である。とはいえ、6月はちょっと例をみないぐらい仕事が多忙を極め、節目的なイベントも終わったところである。備忘録的に、思い出しながらこの1ヶ月を振り返ることとする。(日刊つるのひとこえの精神には全く沿っていまんせが…)

5826声 本をつくる

2024年05月20日

本をつくる

なんて魅力的な言葉。スマートフォンが一般的になった令和に紙の本。買うのではなくて、つくる。本職ではないのに本をつくるというと、Zineと呼ばれるハンドメイド冊子が浮かぶ人も多いと思う。結果Zineみたいなものになるかもしれないが、有志たちと今、本をつくろうと活動を始めている。

今日はその打ち合わせデーだった。自らも小さな書店を営むHさん、長年ブックカフェを営んでいたFさん、現在本と雑貨の店を切り盛りしているYさん、そして僕。に加えて、ずっと若くてけっこうページ数のあるZineも自作したことがあるKくんが5人目のメンバーとして加わってくれた。

仕事としての集まりではないから、実は結成してから数か月経つのに超スローペースでしか事が進んでいない。であれば思い切りが必要だ!とのことで、締め切り日に繋がるある事の申込みもしてしまった。

本をつくる。まだその姿は見えないが、このメンバーであれば良いものが作れる、という希望だけはある。完成の暁には、ここでも紹介をさせていただきたい。

5758声 引継書

2024年03月13日

わたしの現在の仕事は、一年を4回のクールに分けて、同じようなことの繰り返しなのだが、意外と毎回いろいろなことが起る。

一昨日のインシデントもそうだが、実に様々なことが起きる。

本質を捉えていれば、そう間違うこともないのだが、関与者が増えたり、階級上位の人物がきっかけだったりすると対応に苦慮することもある。

わたしの今のポストは、正直、誰でも務まるとおもう。そして誰でも務まるように、引継書を日々更新しながら仕事をしている。

いつの頃からか、職場にパソコンが導入されてからだとおもうが、引継書をつくりながら仕事している。だから、いつ異動となっても、自分の仕事を引き継いてもらうのは簡単である。

5746声 高崎の広さ

2024年03月01日

榛名山が薄っすらと雪化粧していて美しい朝だった。高崎も山沿いは雪だったようだ。

フロントガラスの隅に雪を蓄えた車を数台目撃した。うちのまわりは雪の欠片もなく、雪を蓄えた車は自然と目につく。高崎ナンバーである。

そういえば、雪化粧している榛名山も見えている部分の三分の二くらいは高崎だ。

高崎の広さを実感した3月のはじまりである。

5710声 クロージングの時期

2024年01月25日

今日は朝からオンライン含めて打ち合わせが6本。交付金の申請期限でもあり、係員が作った計画書を最終チェック。設計デザインも方向性の検討が大詰め。年度末に向け、全てをクロージングさせて行かなければならない。とはいえ残業はせず娘を迎えに帰る。保育園から帰ってくる際に、明日は飲み会なのでお迎えはお母さんだよと伝えると、小躍りして喜んでいた。。

5698声 ぬるめのラーメン

2024年01月13日

今日は渋川の実家に帰りビアを飲みつつラグビーの大学選手権の決勝を観戦。大学の同期は現地で観戦している。途中落雷の危険による中断や降雪の中のタフな環境での試合になった。荒天による何かを期待したが結果は母校の完敗。夕方から高校の部活の同期との新年会。卒業して30年近くになるが毎年やっている。子連れで来るやつや離婚したやつ、能登半島地震の救援から戻ってきたやつなど、近況を報告し合う。〆は中学生の時から通っている中村ラーメンと決まっている。高齢の夫妻がまだお元気で良かった。このぬるめの味噌ラーメンをたべると新しい年が始まったなと思う。来年もまたここで。

5691声 休日

2024年01月06日

今日は妻が仕事なので娘と二人。妻の美術館にでも遊びに行こうかと誘ったら、「おーぱでかいものがしたい」と。さすが、3才のおねいさんになると言うことが違う。何を買いたいの?と聞いたら「ゆうしょくのかいもの」だって。まだ午前中なのに。徒歩5~6分の距離なのに歩くことを断固拒否し、ベビーカーに大好きなもふもふの毛布と一緒に乗り込んでいる。あきのちゃんの店でお昼を食べながらシンキチを3杯。予想通り帰りのベビーカーで爆睡した娘を布団に入れ、その横で私もウトウトしてしまった。なんてことはない娘との休日。

5690声 おねえさん

2024年01月05日

娘は3才になるとおねぇさんになると思っている。3才になったら辞めることとして、①ママのおっぱいを触らない。②抱っこしてと言わない。この2つを妻から打診されていた。①に関してはおねぇさんになっても無理と宣言。②に関しては、3才になったらもう言わないと誓った。何度も。今朝、3才になった娘は妻に対し、「おんぶ~~」といって妻の背中でニヤリと笑っていた。完全に上手だった。。

5612声 子猫

2023年10月19日

本日も朝から晴。

鰯雲のまったき秋空である。

先日から意識して探したせいか、金木犀の木が目に入るようになる。まだ香りはする。が、慣れてしまったのか、もうピークを過ぎたのか、以前より香りが弱くなった気がした。

さて、お昼はいつもの恵比寿屋で久しぶりにラーメンをいただく。ラーメン屋のラーメンより好み。

ランチの帰り、か細い猫の声に気づく。

立ち止まって声のするほうを確認すると、道の反対側の公園の物かげに全身真っ黒な子猫がいた。とても小さな黒猫で、生まれてまもない感じだ。

わたしからの距離は20メートルほどあるか。駆け寄って拾い上げたくなるようなかわいい声なのだが、その場からしばらく様子を見る。

子猫と私の間をおばさんが横切る。おばさんには、子猫の声が聞こえないようだ。まったく子猫のほうを見ずに、すぐ子猫の脇を歩いていった。聞こえないだけでなく、姿も見えないのかもしれない。

わたしから見えたのは黒い子猫一匹だけだったが、あと数匹かげに隠れているかもしれない。

子猫の声は意外と遠くまで届く。職場に向うわたしのあとをいつまでも子猫の声が追いかけてきた。

5605声 不思議な香り

2023年10月13日

13日の金曜日。

素晴らしい秋空。朝も昼も夕方もとても気持ちよく歩けた。

さて、職場からの帰り道は夕間暮。

西の空にはまだ明るさが残っているものの、あたりは夕闇に包まれようとしていた。いつものように歩いて帰ったのだが、ちょっとした交通事情で、いつもとは違う道のりとなった。交差線で合流待ちしている車が行き先を塞いでいたので、普段曲がる角を曲がらずに直進したのだった。公園の脇を通るその道を進むとなにやらいい香りがしてきた。

毎年この季節にかぐ香りだ。薄暗いなかを少し見回したが、香りのもとを見つけることはできなかった。どうやら公園の反対側にある寺の境内から香って来ているらしい。高い塀にはばまれているのと薄暗さも手伝って、それを目で確認することはできなかった。が、鼻でしっかりと確認することができたのでよしとしよう。

これが今年初めての金木犀だ。

毎年、どこかで出会っている香りなのに、どこで出会っていたのか思い出せない、不思議な香りである。

5559声 上京

2023年08月28日

先週、重量級のイベントが終わったので、今日は夏休みを貰って東京へ。久々に自分だけの時間を使うことができた。ボロボロの通勤バックを慎重したり、カウンターの寿司屋で昼から日本酒を堪能する。15時には高崎に帰り、17時に娘を迎えに行く。今日は妻の帰りが遅いので娘と近所の肉屋でコロッケを購入。ここのハムカツが娘の好物。揚げて貰っている間に娘が便意を催し急いで家に帰る。トイレでうんちができるようになった。おしっこはまだだけど。

5440声 夕焼けを

2023年05月01日

今日、職場からの帰り際、広報担当の後輩が、夕焼けを撮りに行くんです、と駆けていった。

だいたいの場所は見当がついたので、ゆっくりと後を追ってみた。案の定、烏川越しに浅間が遠く見える場所で、後輩に追いつく。

彼は、一生懸命シャッターを切っていた。すると俄か雨が降ってきた。カバンから出した折りたたみ傘でしのぐも、強風で何度も傘が裏返る。それほどの雨量でなかったのでなんとかなった。

そんな雨の中であったが、なかなか良い夕景色なので、わたしもスマホで撮影してみた。厚い雲の下に天使の階段が現れ、浅間方面の山々に赤い光の筋が降り注いでいた。まあまあの写りだ。

その後、空全体が赤く染まるのを期待して、日没時間まで二人で粘るものの、それ以上空が赤くなることはなかった。

しかし、このほんの数十分で気持ちは結構リフレッシュされた。明日からはGRを持ち歩こうかな。夕焼けを撮るために。

5389声 夫婦揃って予定のない週末

2023年03月11日

久々に夫婦揃って予定のない週末。休みのたびに「今日もママ仕事?」と娘に聞かれるのが切ないのだが、今日も明日もお休みだよと言えるのが嬉しい。交互に娘の相手をしつつ、衣替えとか、シーツやタオルケットの洗濯といった普段できない家事を。こう考えると家にいる週末って大事。今まで何も言わずキャンプやら旅行に付き合ってくれていた妻に改めて感謝。夕方に両親が高崎に出てきたので海力に。週に2度も海力に行けるなんて贅沢な話。2階の座敷がほぼ貸し切りだったので、娘もはしゃいで楽しそうだった。ごちそうさまでした。そりゃもう、今日も良い一日だったよ

5362声 家族の風景

2023年02月12日

めっかった群馬の堀澤さんの実家へ写真の撮影で伺った。お母さんは何度かお会いしていたが実家を伺うのは初めて。お父さんはにんまりと機嫌が良い感じで、お母さんも相変わらず朗らかだった。弟さんと甥っ子も含めて、何枚か写真を撮った。

堀澤さんは新しい店の準備があり、僕もすぐにそちらへ移動せねばなので、ゆっくりはしなかった。急いで家を出て行く堀澤さんを1枚写真に撮った。たまたまのその日の事情で彼一人が家族から離れただけだし、全然良い写真ではなかったが、何かを表しているようではあった。とても良い家族だった。

5292声 進撃の執権

2022年12月04日

『鎌倉殿の13人』は先週、三代将軍が暗殺された。これで、おもな人物はだいたいいなくなってしまった。ところで、主人公の印象が序盤とガラリと変わってしまうのは、まるで『進撃の巨人』のようだ。今の義時に共感できる人は少ないのではないか。エレンみたいだ。

どうでもいいことだが、尾上松也は時代劇と歌舞伎だけやっていればいいもおもう。歌舞伎座でみた松也は輝いていた。後鳥羽上皇役も悪くない。現代劇はやめておいたほうがいいとおもう。ほんとに、どうでもいいことだけど。

5249声 AI女子高生

2022年10月22日

今日はAIを搭載したリアル3DCG女子高生と対話するイベント。肌の質感や眼球の動きなど、本物と見紛うばかりのリアルさ。twitterで日本語を機械学習し、クラウド上のAIで考え、話しかけたり、返答したりする。子供達との対話は初めてということで、小学生に対し、「IT企業にお勤めですか?」なんてちょっとずれたことも言うが、そば好きという相手に対し、「私もラーメンやうどんも好きですが、やっぱりそばが一番ですね」なんて気の利いた返答もする。資本主義と社会主義のどちらが好きかという問いに、「どちらも捨てがたいですが、どちらかと言えば社会主義ですかね」と。理由を問うと「社会主義の方が個人に優しいので」。一番笑ったやりとり。いろいろなサービスや受付といったインターフェイスが、こういったCG×AIが担う時代はそう遠くないであろうと実感。

5241声 変わりゆく温泉

2022年09月14日

中之条町でなぜ「中之条ビエンナーレ」のような芸術祭が続いているか?という問いに対して、僕はたまに持論として「四万温泉があったから」という話も持ち出すことがある。一見無関係のようにも思えるが、簡単に(乱暴に)言うと、昭和かそれ以前から四万という温泉地をもっていた中之条町には「外から町にやってきた人を労う気持ち」が潜在的にあるのではないか、という思いがある。それが、町外からやってきたアーティストや、ビエンナーレ目当てで来る観光客に対しての人当たりに関係しているのではないか・・

 

はともかく、僕の母親は昔、祖母と共に四万温泉の積善館に努めていて、亡き父は渋川から四万へ魚を運ぶ魚屋であったから、四万温泉がなければ僕も生まれておらず、四万温泉は幼い頃から不思議な愛着を感じている場所でもある。

 

その四万温泉も、近年大きく変わりつつある。昭和の面影残す落合通りの商店はずいぶん前から閉店も目立つが、館林から四万へきたイタリアン「ランゴリーノ」や東吾妻町から出店した「ジュピターズバーガー」、柏屋カフェの2号店的なピザの店「シマテラス」など新しい店がいくつかオープンし、コロナ過をきっかけにリニューアルした店や宿もある。こと、積善館も薬膳粥に続き日帰りで釜揚げうどんが食べられる店舗を館内にオープンさせ、映画『千と千尋の神隠し』のモチーフの1つになったという赤い橋は連日写真を撮る観光客で賑わっている。

 

ただし、母が務めていた少し後くらいまで続いていた関家(社長は代々、関善平と名乗っていた)の経営は終わり、現在は新たな経営会社が積善館の経営を行っている。コロナ過の影響以前に「団体旅行での宴会」というスタイルがなくなっていった近年において(今はカップル旅、一人旅を想定したプランを立てる宿が多い)、宿の経営は難しさの局面に立たされているのだろう。

 

 

父が昔、四万温泉について話していたことの中で、こんな話がやけに記憶に残っている。それは、そんな時代があったのかという驚きというよりは、直接的な金の話ではなく、人情や精神的な豊かさも感じる話だからかもしれない。こんな時代は、もう来ないだろう。

 

「昔はな、名だたる旅館の女将がバスに乗ってくると、乗車している地元の従業員に気前よくチップを配って回るんだ。どこの旅館てのは関係なくな。」