252声 叙情的な夜はどこで更けるか

2008年09月08日

読書の秋である。
これまた、ベタで古典的な随筆文章の出だしであるが、
スポーツでも食欲でもなく、やはり読書の秋なのである。
と、私は感じている。

私も一応社会人の端くれなので、
昼日中から木陰で読書なんて時間は作り難い。(と言う事にしておく)
本腰を入れて本を読むのは、床に就いてからである。

秋虫の風流な声を聞きながら、古典文学の頁をめくる。
叙情的な夜は、ゆっくりと静かに更けてゆく。

ってな感じで綺麗にまとめたいのだが、実際はそう上手く行かない。
出だしから追って見る。
秋虫の風流な声を聞きながら、ここまでは良い。
地方都市生活者の情感が出ている。
古典文学の頁をめくる。
これが出来ない。

近松門左衛門の『曾根崎心中』あたりを読みたいが、
秋の夜更けに心中を考えても、精神衛生上よろしくない。
どちらかと言えば、井原西鶴『好色一代男』 なんてのが良い。
しかしながら、原文を読み解く読解力を持ち合わせていないのが難点。

では、一気に明治・大正時代までやってくる。
田山花袋の『蒲団』なんてのはどうか。
しかし、実際に布団に包まりながら読むのも、いささか悲しい。
口語自由詩なんかも持ってきて、
群馬つながりで萩原朔太郎の『月に吠える』。
これは、月に向って吠えたくなってしまうので、
叙情的な夜がゆっくりと静かに更けない。

やはり上手く行かない。
叙情的な夜は、ゆっくりと静かに更ける。
そもそもここが違う。
夜は普通に、いつもながら慌しく更ける。
そんで、床に就いて漫画でも読みつつ、いつの間にか朝である。
ハヨネヨ。