読書の秋である。
これまた、ベタで古典的な随筆文章の出だしであるが、
スポーツでも食欲でもなく、やはり読書の秋なのである。
と、私は感じている。
私も一応社会人の端くれなので、
昼日中から木陰で読書なんて時間は作り難い。(と言う事にしておく)
本腰を入れて本を読むのは、床に就いてからである。
秋虫の風流な声を聞きながら、古典文学の頁をめくる。
叙情的な夜は、ゆっくりと静かに更けてゆく。
ってな感じで綺麗にまとめたいのだが、実際はそう上手く行かない。
出だしから追って見る。
秋虫の風流な声を聞きながら、ここまでは良い。
地方都市生活者の情感が出ている。
古典文学の頁をめくる。
これが出来ない。
近松門左衛門の『曾根崎心中』あたりを読みたいが、
秋の夜更けに心中を考えても、精神衛生上よろしくない。
どちらかと言えば、井原西鶴『好色一代男』 なんてのが良い。
しかしながら、原文を読み解く読解力を持ち合わせていないのが難点。
では、一気に明治・大正時代までやってくる。
田山花袋の『蒲団』なんてのはどうか。
しかし、実際に布団に包まりながら読むのも、いささか悲しい。
口語自由詩なんかも持ってきて、
群馬つながりで萩原朔太郎の『月に吠える』。
これは、月に向って吠えたくなってしまうので、
叙情的な夜がゆっくりと静かに更けない。
やはり上手く行かない。
叙情的な夜は、ゆっくりと静かに更ける。
そもそもここが違う。
夜は普通に、いつもながら慌しく更ける。
そんで、床に就いて漫画でも読みつつ、いつの間にか朝である。
ハヨネヨ。