2008年09月11日
「書く」と言う行為に対する自らの執着は、一体何処から来るのか。それは単に、一つの表現方法としての問題では無い。根本的欲求の代理行為。だとしたら、いや、自分で書いていて何だか良く分からん。って、投げ出して拾ってはまた書く。分かっているのは、「書きたい」と言う衝動があるだけ。その内容が、虚実混ぜこぜ、あるいは嘘で塗り固めた虚構だと分かっていても、やはり。