ものわかり

2013年06月29日

結局過去を振り返ることも未来に思いをはせることも、
どういう死に際を迎えるのだろうかという不安とつながっているのではないだろうか。
かりに「死ぬなんていつそうなるかもわからないことを考えても仕方がない」と死を追いやろうとしてみたところで、
どれだけその不安を払しょくできているのかと言えばこれはどこまでもわからない。
しかし同時に「わかりたい」と言って誰にもわかれるものではないのが「死」で。
「仕方がない」というものわかりの良さと「死をわかりたい」というものわかりの悪さは同居する。
そして 駄々をこねる子供に頭を抱えて思案する親のごとく、
人間にどう生きるのかを考えさせるのはものわかりの良さよりもものわかりの悪さ。
ものわかりの悪さとは 現実へのやむにやまれぬ問いかけである。
私にとっての生きるとはたぶんそういうことで。