2387声 隙間

2015年04月22日

お客さんと話していたら、街の隙間、についての話になった。

この「隙間」はちょっと前に書いた「空白」と同じようなもので、人によってはそれがあるからやっと安心できるというような、その大事さは案外気づかれずにほったらかしにされている場所、のことだと思う。
街には、スポットライトの当たらない隙間がたくさんある。
そういう隙間のないことに窮屈を感じるという、今となっては当たり前なのかどうなのかすらよくわからないこういう話は、なかなか普通にできる機会がありそうでない。
街には隙間があって、隙間があるから生きていられるのだけれど、経済原理は隙間から排除して行く構造になっている。
街にある隙間は、そのまま心の隙間の投影である。
それがあるから人間は人間でいられる、ということでもあるかもしれない心の隙間は、やっぱり経済原理にさらされると容赦無く排除されて、、というよりそれは人間の側の問題で、人間が経済原理に身を任せてしまうと、経済原理はほっとけば心の隙間も均一に平らにならしてしまう。
そのお客さんは、街の隙間を少しでも埋められたらと思って、という言い方をして、コミュニティ大学をやっている。
それはそのまま心の隙間を埋めることで。
隙間は誰にでもある、のだと思う。
ところがそれが埋まる、というのは結果であって、その前に当たり前だが、そこに隙間があるということに気づく、がないと始まらない。
だからまず、光を当ててそれが隙間であることに気づく、という順番があって、その上でどうやったらその隙間が埋まるか考える、がないと、埋まるものも埋まらない。
埋めるのはそう簡単なことでもない。
手順だけ考えても大変な上に、およそ隙間に気づかされるきっかけは外から光が当たることで気づく場合が多いから、気づくという段階ではその大変さに気づかないことが多い。
外からの光は長続きしない。
いつかは自分で光を当てていかないといけないときが来る。
これが大変なんでね。
それでまた、隙間には隙間である理由もあって、つまりそれは気づかなければ楽でいられたかもしれないようなある種の闇、であることも多いから。
闇に外から光が当たると気持ちいいけれど、光の当て方もその埋め方もよくわからないのに自分で光を当てるのはたいへん、なので。
だから、街の隙間を埋める、というのは、美辞麗句なんかでは決してないんだね。
美辞麗句なんかでは決してないのがわかった上で楽しんだらいいじゃん、みたいなものではあると思うけれど。
そこに感動があるよ、みたいなものかもしれないな。
あー、いいこと言った。
もう言うことない。
明日から抜井にバトンタッチしたい。