「表現者になる人とそうでない人の違いは、これか」
と思う瞬間があった。ここでいう表現者とは、アート作家や映像作家など、
表現を生業にする人のことである。
アーツ前橋にて群馬出身の映像作家・小泉明郎氏の個展が行われた。
時間も場所も違う3つの電車内が3つのモニターに映り、役者ではない乗客が映る中、
それぞれのモニター内の主要人物が、テレパシーのように言葉の掛け合いをする作品。
特攻部隊に入りながらも機械不調で命をとりとめた老人が、自らの体験談を淡々と話ながら、
特攻部隊の服を着た自分自身と映像内で対面し、戦争について自らと対話する作品。
といった、フィクションとノンフィクションの境を行き来した刺激的な作品が並んだ。
木下恵介監督の『陸軍』という白黒フィルムを上映し、小泉氏が語る、というイベントがあった。
『陸軍』は、敗戦直前に撮影されたプロパガンダ映画で、お国のために命を惜しまぬ、という話。
けれどラストシーン、実際の兵隊をエキストラとして使ったという迫力満点の大行進の中、
戦地へ向かう息子を追いかけ、母親が群衆の中をえも言われぬ顔で追いかけていく。
それは、見方によっては、反戦、の意を込めたともとれる感動的なシーンだった。
小泉氏の話しは、「なぜこの映画が上映禁止にならなかったのか」ということを主題とした。
そこには、映画監督・木下恵介の検閲から逃れるための度量・技術もあったとのことだが、
小泉氏はこう語ったのだ。
「ラストシーンのすごさに、検閲する立場の人間が揺り動かされ、思考が追い付かなかったのではないか」
「それが芸術の力ではないか」と。
『陸軍』という映画をめぐって、監督と検閲の間で本当にそのようなやりとりがあったのかは不明だが、
それが正しい、想像にすぎない、という話ではなくて、僕はそこに小泉氏の姿勢を感じた。
そしてふと、「表現者の条件とは、表現の力を信じられるかどうか」なのではないかと思った。
自分の行く道を信じているか?惰性でやってないか?それ以来、自問が続いている。

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