535声 ハイボール 中編

2009年06月18日

昨日の続き

それは、いささか稚拙な行いですが、こっそりと尾行してみる事にしたのです。
ハイボール親父の、「島田屋後」には何か有ると言う、自らの嗅覚に従った訳です。
決行の日は、蒸し暑い梅雨の正午でした。
灰色の雲が垂れ込め、今にも雨が降り出しそうな空色でしたが、ガード下には、
いつも変わらぬ薄暗い商店街がありました。
天気に似合わず陽気な演歌が流れており、自転車や歩行者が、
チラホラと往来して行きます。
島田屋の褪せた紺暖簾をくぐると、まず、右斜め奥の席を確認しました。
酷く丸めた背中がありました。
今日は緑色のギンガムチェックを着ている為か、普段よりも幾分、陽気に見えます。
私は、入口に一番近い席に陣取り、モツ煮定食を食べながら、
右斜め奥の席に注意を払います。

さて、テレビに映る時刻は正午半です。
徐に、ハイボール親父が席を立ちます。
レジへ近づくと、女将さんが言います、私もモツを噛みながら呟きます、「はい、1300円ね」。
ハイボール親父が、代り映えの無い調子で勘定を済ませます。
いつも釣りが出ない様、ぴったり払って行きます。
思い通り、規則的な注文と行動を目の当たりに、
私の好奇心は、一層強固な衝動へと変わって行く様な心持です。
「まいど、ありがとうございました」
女将さんの元気な挨拶を合図に、私も席を立ち、勘定を済ませて後を追います。

島田屋から出たハイボール親父は、のろのろ、と言うよりは、よろよろと歩いて行きます。
私は、一旦追い越してから、先の天心堂書店に入り、
店頭に並んでいる週刊誌を立ち読みしながら、待ち受ける事にしました。
週刊誌の頁を捲り、水着を着たお嬢さんのグラビア頁などに気を取られていると、
目的人物が、一向に歩いて来ないのです。
不安に思った私は、本を棚に戻し、別の本を選ぶ所作の中で、
注意深く目線を商店街へと向けました。
ハイボール親父は、魚政の店頭に立っていたのです。
店頭の魚を真剣に選んでいるその眼光は、何やら底光りしており、
得体の知れぬ気迫を帯びていました。
島田屋の角席で、ハイボールをチビチビやっていた猫背の親父とは、
見違える程に快活な印象です。

明日へ続く