昨日の続き
勘定と引き換えに、小魚を数匹詰めたビニール袋を魚政の大将から貰います。
「はい、ありがとね」
大将の威勢の良いダミ声が、午後の空気がまどろんでいる商店街に、響きます。
ビニール袋を揺らすハイボール親父は、愛想の無い表情で、また此方へ歩き出したのです。
鉢合わせにならぬ様、私は慌てつつも平静を装い、回れ右して、
天心堂書店の先へと歩を進めます。
30歩程歩いた、龍盛薬局前で立ち止まり、店頭に並んでいるトイレットペーパーを見る振りで、
後ろを伺います。
右手に持ったビニール袋を、だらしなく揺らしながら歩いて来る姿を、確認。
滞り無く進んでいる計画に、胸を撫で下ろしたのも束の間。
ハイボール親父は、天心堂書店の角を折れて、路地へと姿を消してしまったのです。
私は直ぐ、小走りにその角へ駆け寄り、電柱の陰から、路地を覗き見ました。
その角から続く路地は、通称「でんでん通り」と呼ばれています。
路地の脇にはその昔、「電電館」と言う映画館があり、その時分には、
大層賑やかな通りだったと聞いています。
今では、電電館も廃業し、半ば朽ち果てた建物のみが取り残されています。
路地を漂う空気は淀んでいて、流れる時間までも、退廃した気配を感じさせる様です。
ハイボール親父は、よろよろと、電電館の前に差し掛ると、突然、歩みを止めました。
歩みを止めると言うよりは、周囲の時の流れまで、一緒に止まっているかの様に、
静止した状態なのです。
突如として路地に張り詰めた、只ならぬ気配を、私は電柱の陰で、
息を潜めて見守っています。
その気配を破ったのは、佇んでいるハイボール親父自身でした。
徐に右手を顔に近づけ、持っていたビニール袋を口に銜えたのです。
次の瞬間、「シューッ」と滑り落ちる様に形が小さくなったかと思うと、音も残像も無く、
ハイボール親父は一匹の猫になってしまったのです。
ビニール袋を銜えた可愛らしいその寅猫は、ズルズルと袋を引き摺りながら、
斜めに開いている、電電館入口シャッターの隙間に入って行きました。
暫くして私は、その路地から商店街へと目を移し、
二の句が継げない状態で、ぼんやりと視線を泳がせました。
往来も疎らな商店街の先には、いつもの様に、島田屋の褪せた紺暖簾が揺れておりました。

Copyright 2007-2026 Crane Dance. All Rights Reserved.