559声 ふぐりと淑女

2009年07月12日

「梅雨の雨音は、夏本番前のドラムロールであろうか」
などと、きざっぽい事を書いて、苦笑。
然しながら、この日刊「鶴のひとこえ」にも、時折、詩的な部分を覗かせねば、
数少ない読者諸氏も、飽きてしまうのではないか。
と言う危惧が、そこはかとなく、私を急くのである。
何故、その打開策が詩的に至ったかは、指摘しないで欲しい。

この様に、毎度、安直なギャグで得意気になり、うらぶれた飲み屋のカウンターで、
背を丸めながら焼き鳥など突いて、瓶麦酒をチビリチビリ。
この様な、矮小かつしみったれた男と言う著者像が、
幾度と無く読者に刷り込まれている。
これでは、チト上手くない。

先日、有楽町のガード下を通った時などは、未だ夕方の浅い時刻だと言うのに、
銀座を闊歩していそうな、所謂、妙齢の淑女が、ガード下の飲み屋で一杯やっていた。
焼き鳥屋の煙渦巻く店内で、ジョッキの取っ手を掴んでいるではないか。
その三越あたりで買ったであろう、ブランドのバッグに、醤油染みでも出来たらと、
見ている此方が気を揉む始末。
その光景を今思い出し、このインターネット界において、場末サイトのコンテンツであるが、
「もしや」、と言う淡い期待の表れ。
それが、冒頭文に反映されている。
煙で匂いの付く心配も無ければ、醤油が飛ぶ心配も無い。
ガード下の焼き鳥屋よりは、気軽に立ち寄れる筈なのだ。

思い立って、裏の田圃の畦道を散歩。
道端に群生するコバルトブルーの可憐な花。
もう初夏であるのに、春の花が健気に頑張って咲いているではないか。
上手い具合に見付けた、牧歌的であり、かつまた詩的なその情景を写真に収め、
早速自宅に戻り、図鑑と照らし合わせる。
「おおいぬのふぐり(ごまのはぐさ科)」
犬のふぐリを想像したら、何だか馬鹿馬鹿しくなり、牧歌も詩的も、
妙齢の淑女も、直ぐに辞めちまった。