「梅雨の雨音は、夏本番前のドラムロールであろうか」
などと、きざっぽい事を書いて、苦笑。
然しながら、この日刊「鶴のひとこえ」にも、時折、詩的な部分を覗かせねば、
数少ない読者諸氏も、飽きてしまうのではないか。
と言う危惧が、そこはかとなく、私を急くのである。
何故、その打開策が詩的に至ったかは、指摘しないで欲しい。
この様に、毎度、安直なギャグで得意気になり、うらぶれた飲み屋のカウンターで、
背を丸めながら焼き鳥など突いて、瓶麦酒をチビリチビリ。
この様な、矮小かつしみったれた男と言う著者像が、
幾度と無く読者に刷り込まれている。
これでは、チト上手くない。
先日、有楽町のガード下を通った時などは、未だ夕方の浅い時刻だと言うのに、
銀座を闊歩していそうな、所謂、妙齢の淑女が、ガード下の飲み屋で一杯やっていた。
焼き鳥屋の煙渦巻く店内で、ジョッキの取っ手を掴んでいるではないか。
その三越あたりで買ったであろう、ブランドのバッグに、醤油染みでも出来たらと、
見ている此方が気を揉む始末。
その光景を今思い出し、このインターネット界において、場末サイトのコンテンツであるが、
「もしや」、と言う淡い期待の表れ。
それが、冒頭文に反映されている。
煙で匂いの付く心配も無ければ、醤油が飛ぶ心配も無い。
ガード下の焼き鳥屋よりは、気軽に立ち寄れる筈なのだ。
思い立って、裏の田圃の畦道を散歩。
道端に群生するコバルトブルーの可憐な花。
もう初夏であるのに、春の花が健気に頑張って咲いているではないか。
上手い具合に見付けた、牧歌的であり、かつまた詩的なその情景を写真に収め、
早速自宅に戻り、図鑑と照らし合わせる。
「おおいぬのふぐり(ごまのはぐさ科)」
犬のふぐリを想像したら、何だか馬鹿馬鹿しくなり、牧歌も詩的も、
妙齢の淑女も、直ぐに辞めちまった。

Copyright 2007-2026 Crane Dance. All Rights Reserved.