3547声 夏が来れば⑤

2016年07月25日

この時期になると、日照りで暑い国道17号を横切り、当時暮らしていた学生寮から親父が入院していた循環器病院までを歩いたあの頃を思い出す。

 

母は車の運転ができず、前橋のその病院までマメに行くこともできなかったので、僕が親父のパジャマや下着を預かっては、寮の洗濯機で洗い、それをまた届けていた。

 

当時はまだ思春期をこじらせていて、将来について何の見通しも持てず、その時の親父は狭心症のカテーテル手術で、危機的状況でなかったのだけれど、家族含め皆不安で、やけに明るい踏切、カンカンカンという音が、なおさら僕を陰気にさせた。

 

 

もうじき、親父の七回忌だという。カテーテル手術から10年以上が経ち、そこそこ元気だった親父が心臓の調子でまたその病院に入院し、手術は一応の成功で安心したのもつかの間、術後の院内での自らの誤飲が肺に影響し、その数日後には亡くなってしまった。

 

管が入り話しもできない親父を見て、姉が泣きながら言った「お父さんがなんでこんな顏してるか知ってる?手術は成功したはずなのに、なんで俺はこんなことになってるんだ、って悔しいんだよ」という言葉が忘れられない。

 

毎年この時期になり墓参りなどをすると、親父について考えたりもするのだが、別れがそんな状態だったからか、今なおはっきり気持ちの整理ができない。ただ墓参りの日はいつも晴天で、手を合わせれば心の中で「俺はまだこんな状況だけど・・」という言い出しから始めることは、数年前から変わってはいない。