3797声 見上げる

2017年03月31日

早朝バイクにまたがるもののお腹がいたい。トイレを我慢しつつ、ふと見上げると朝焼けは稜線のオレンジから広がる青へのグラデーション、とても美しかった。

 

花粉で頭がボーッとするのも3月。東京の仕事をさっさと辞め目的もなくぼんやりと群馬に帰って来たのも3月。3月はあまり元気だった記憶がない。気持ちが塞いで下ばかり見ていた頃は、頭上を咲く桜にも気づかなかった。あるいは視界に入っても何も感じなかった。であるからこの季節、「見上げる」という行為を意識することは、良いことだと思う。

 

ただ。トイレを我慢しているからこそ美しい空もあり、気持ちが塞いでいるからこそ染みる桜もある。そこらへんが、人生は勝ち負けじゃないってことなのかな。おおげさに言えばね。

 

 

「鶴のひとこえは、その日のうちに書くことに意味があります。強要はしませんが」と抜井さんだっけかに言われて「それはそうだと思うけどな」と呟きつつ、今までの僕は毎回夏休みの宿題の様に月の最後の5日くらいでババーと書きなぐっていた。この3月は、「まず無理にそれらしく書こうと思わない。手を抜く」と決めて一応ほぼ日ペースで書くことができた。自分をほめたい。さてさて、4月はすーさんです。「桜の下でビールを飲んだ」はきっと書かれるのではないかと推測します。それじゃ、また。