793声 身過ぎ世過ぎの荒療治

2010年03月03日

目にきている。
花粉が、である。
目薬を差しつつ、何とか目のかゆみごまかしながら、
どうにかこうにか、身過ぎ世過ぎしている。
これが、今少し季節が進むと、目の他に鼻の具合が悪くなってくる。
うららかな春の日差しの下、目を腫らし鼻水を垂らしていると言うのも、
何か、人生の内で大切な期間を失っている様な心持である。
今も、どうも瞼が重くていけない。
この時期は慢性的な眼精疲労感に苛まれ、四六時中目が半開きになっている。
すると、瞼の奴が勘違いして、早く店じまいをしようとしてしまう。
つまりは、次第に瞼が下がって行く事によって、脳神経へ伝達され、眠気が起こる。
四六時中、瞼が下がってくると言う事は、四六時中、眠いと言う事なのだ。
眠い時と言うのは、やはり、思考の働きが芳しくない。
反対に、眠気を寄せ付けない、昂揚している時と言うのは、思考の働きが良い。
文章とは、そう言う時に書くものだと、つくづく痛感している。
眠いけれど、それでも書く、と言うのは体に悪い。
私の知り合いで、これも酷い花粉症の人がいる。
もう、幼少の頃から、筋金入りの花粉症なのだ。
或る穏やかな春の休日。
その子の父親が言った。
「おい、某太郎、山へ行くぞ」
訳も分からぬまま、親父に近所の山へ連れて行かれた某太郎は、
そこで、親父からある物を手渡された。
「ほら、これがスギ花粉の実だ、これを食べれば花粉の免疫が出来て、
一発でお前の花粉症が治る」
とんでもない荒療治だが、某太郎、断言する親父の迫力に気押されて、
目を擦りながら、その実を数個、飲み込んでみた。
翌日の某太郎。
全身に湿疹が噴出して、親父と一緒に病院へ直行する事になった。
この様に、荒療治と言うのは、往々にして良い結果を招かない。
眠い時は書かずに寝る。
と言う健康的な対処法に則りたいのだが、今の所、湿疹などの諸症状が出ていないので、
ごまかしごまかし、書いている次第である。