目にきている。
花粉が、である。
目薬を差しつつ、何とか目のかゆみごまかしながら、
どうにかこうにか、身過ぎ世過ぎしている。
これが、今少し季節が進むと、目の他に鼻の具合が悪くなってくる。
うららかな春の日差しの下、目を腫らし鼻水を垂らしていると言うのも、
何か、人生の内で大切な期間を失っている様な心持である。
今も、どうも瞼が重くていけない。
この時期は慢性的な眼精疲労感に苛まれ、四六時中目が半開きになっている。
すると、瞼の奴が勘違いして、早く店じまいをしようとしてしまう。
つまりは、次第に瞼が下がって行く事によって、脳神経へ伝達され、眠気が起こる。
四六時中、瞼が下がってくると言う事は、四六時中、眠いと言う事なのだ。
眠い時と言うのは、やはり、思考の働きが芳しくない。
反対に、眠気を寄せ付けない、昂揚している時と言うのは、思考の働きが良い。
文章とは、そう言う時に書くものだと、つくづく痛感している。
眠いけれど、それでも書く、と言うのは体に悪い。
私の知り合いで、これも酷い花粉症の人がいる。
もう、幼少の頃から、筋金入りの花粉症なのだ。
或る穏やかな春の休日。
その子の父親が言った。
「おい、某太郎、山へ行くぞ」
訳も分からぬまま、親父に近所の山へ連れて行かれた某太郎は、
そこで、親父からある物を手渡された。
「ほら、これがスギ花粉の実だ、これを食べれば花粉の免疫が出来て、
一発でお前の花粉症が治る」
とんでもない荒療治だが、某太郎、断言する親父の迫力に気押されて、
目を擦りながら、その実を数個、飲み込んでみた。
翌日の某太郎。
全身に湿疹が噴出して、親父と一緒に病院へ直行する事になった。
この様に、荒療治と言うのは、往々にして良い結果を招かない。
眠い時は書かずに寝る。
と言う健康的な対処法に則りたいのだが、今の所、湿疹などの諸症状が出ていないので、
ごまかしごまかし、書いている次第である。