「ワルノリ俳句ing」と言う活動を始めて、気付けばもう、丸2年以上が過ぎている。
群馬県内の小都市、或いは山村へふらりと出掛け、川柳以上俳句未満の様な、
しかし、時に真面目に俳句を詠んで愉しむ。
と言うのが、この活動の概略。
そして、約一年前、ワルノリ俳句ingが新聞に載った際、紙面に出ていた、
「題材求め旅 居酒屋で発表」
と言うコピーが、この活動の骨子を端的表現していて、気に入っている。
「俳句ing」
と言うのは、つまり「吟行」の事で、この吟行を始めて、更なる俳句の深みを知った。
何だか、まともな句も詠めないくせに、一丁前なセリフを吐いているが、
及ばずながらも、そう思った事は確かである。
それを再認識させたのは今日、知り合いから、我が携帯電話に届いた、一通のメール。
題は「さくら」。
本文には、著名な俳人の句が、ずらりと添えられていた。
全て桜に関する句だが、詠むと、句に認められた風景が、
脳裏に活動写真の如く映像化される。
そして、その映像の演出が素晴らしいのである。
喧騒な花見酒宴を見下ろす、桜並木。
月夜に照らされる、森閑とした山の桜。
そこには、雨が降っていたり、犬が歩いていたり、花の香りがしたり。
つまりは、自然の演出がある。
その演出を、やはり、「生」つまりは、実際に見て、体感する事が重要なのだ。
別の側面から見れば、その演出が、句を喚起すると言える。
その体験が、自らに俳句を詠まし得ると言っても良い。
その題材を、自然はどう演出するか、またその風景を自分はどう感じるか。
それを求めて、吟行の旅へ出て、結局は居酒屋へ辿り着く。
「むしろ、居酒屋へ辿り着く為に旅へ出るのでは」
と言う声も、聞こえてきそうだ。
同じ風景を見て、他人がどう詠むのかも、吟行の醍醐味と言える。
秋の夕暮れの電車内に居た、綺麗な女性。
当日、俳句ingに参加していた、私とTさん、その女性を題材に、
全く同じ様な句を、図らずとも二人して詠んでいた。
発表して思わず苦笑だが、そんな事だって少なからずある。
さて、次回、第14回を数えるワルノリ俳句ingを、5月末あたりに計画している。

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