4016声 金柑大福

2018年11月12日

会社から歩いて3分、すぐそばにある菓子屋「藤井屋」の年2回のセールチラシを、かれこれ5年以上担当している。先に言えばよかったけど、秋のセールは今日までだった。売り上げは上々だったと聞き、ほっとする。広告を作る身としては、効果がなければ意味がない。

 

自分と家族の分のお菓子も買った。会社に戻り、玄関扉のまえで金柑大福の封を開ける。夜空にかざして写真を撮れば満月みたいかなと、携帯でパシャっとやってみたが、思った写真にはならなかった。はむっと噛むと、薄皮の下に白あん、キュキュッと甘酸っぱい金柑。一口で食べきった。

 

この「めっかった群馬」の結構大変なコラムを引き受けもう何年か書いているくらいだから、文章を書くことは「好き」と言ってもいいと思う。写真を撮ることも、先月カメラを買ったことでそれに近いくらい興味が増しているが、世間で今一番人気がある(と思われる)インスタグラムのことは、あまり良く思っていない。携帯でパシャ→共有→いいね。こだわって撮影する人も多いと思うが、そこに言葉はたいがいが不要。「映える」写真ばかりが洪水のように行き来するので、「映える」生活から離れた人の声を聞く事ができない。(そういう意味では、人気は落ちた(と思われる)けど、文章によってその人らしさが垣間見える事があるツイッターの方が好感が持てる)

 

・・などと言いつつ、僕もかなり遅れてインスタグラムを始めた。その目的は「言葉に頼らず写真だけで「寂しさ」を表現する」こと。ふと思い立ったテーマではあったが、地味な写真ばかりを時たま上げている。そして今、夜空にかざした金柑大福の写真をあげた。これが何になるというのだ。何にもならない。でも、「平成とはつまり、寂しさの時代だったのではないか」という持論を、僕は抱えている。え、いきなり話がおっきくなった!?(いつかに続く)