4377声 受け入れる

2019年11月09日

先日分に書いた「自分の判断をひとまず置いて、受け入れる」というのは、実は日本映画学校時代に教わったドキュメンタリー監督・原一男さんの一言によるものが大きい。

 

『ゆきゆきて、神軍』(1987)では戦争責任を追及する過激な活動家と肉薄し、デビュー作ともいえる『さよならCP』(1972)では身体障害者を弱いもの守られるものという立場から脱させるべく、原さん自らが挑発する形で身体障害者を町に繰り出して行く。その過激な作品から、本人自身もヤバい人、過激な人とみられがちなベテラン監督である(今年原さんは、れいわ新撰組を対象にしたドキュメンタリーを完成させた。相変わらずやるなー)。

 

僕は学校の授業で覚えているものは足し算引き算くらいなのだけど(おいおい)。その原さんが授業で僕らに、ドキュメンタリーをこれからはじめてきちんと撮影しようという時に言ったのだ。

 

「きみたちはこれから取材をします。人に話を聞きにいきます。聞いていて、そうじゃないと思うこともあるだろう。意見を言いたくなることもあるだろう。でも大切なのは、まず、自分の判断をおいてそのまま聞くということ。一度受け入れるということです」

 

みたいなことを。それはずっと覚えていた。原さんは、過激な作品のイメージとは反して、案外低姿勢なのだ。そしてドキュメンタリーという仕事は、自分で物語を書くでもなく言葉を発するでもなく、「撮影した対象の言葉・動きを通してのみしか語れない」ものなので、この「相手を受け入れる」ということがどれだけ大切かということが次第にわかってきた。

 

もちろん、それを今完璧にできているとも思わない。僕は、他人は、思う以上に複雑なのだ。