4334声 6)詩

2020年03月06日

詩とは遠い人生を歩んできた。俳句もそうだ。映画はかなり近い方。小説は人並み・・ちょっと遠い距離だろうか。若い時を見れば、漫画が一番近かった。

 

今でも詩は遠い。自分から進んで読むことはない。けれど、めっかった群馬で書くことは忘れても(3月が僕の番だと4月あたまに人に言われて気づいた)ここでの投稿は長文多め、最近はめっきり「書くこと」の関心が高くなってきたので、いい詩には巡り会いたいと思っている。

 

前橋文学館で行われている(4/12現在は休館中)「わたしたちはまだ林檎の中で眠ったことがない-第27回萩原朔太郎賞受賞者 和合亮一展-」。本来なら観客を入れて行われるはずだった詩の朗読がコロナの影響で無観客になり、当初予定されていなかった撮影を依頼された。

 

東日本大震災後、地元福島からツイッターで詩を発表し続けた和合亮一さん。撮影の依頼がある前に偶然にも文学館に足を運んでいて、彼の詩を読んで回ったのだが、僕には正直理解が難しかった。

 

ところが。彼の詩が読まれる現場を撮影し、声としてその詩を聞くと、難解と思われる詩も、僕のこころのどこかに着地した。たぶん、読まれてこそ活きる詩なのだと思った。ステイホームのまにまに、最後に貼る動画を見ていただけたら嬉しいです。

 

そして、現在は伊香保の小物と本の店「やまのは」にいる土屋裕一くんという男を、僕は「信頼のおける本ソムリエ」だと思っているのだけど、以前彼から勧められたのが詩人・長田弘さんの集大成エッセイとも言える「なつかしい時間」だった。あまりの良さに僕も、読ませたい人にプレゼントするまでになった。今こんな時だからこそ、長田さんの詩の一つをシェアしたいと思う。

 

「世界はうつくしいと」 長田弘

 

うつくしいものの話をしよう。
いつからだろう。ふと気がつくと、うつくしいということばを
ためらわず口にすることを、誰もしなくなった。
そうしてわたしたちの会話は貧しくなった。
うつくしいものをうつくしいと言おう。

 

風の匂いはうつくしいと。渓谷の石を伝わってゆく流れはうつくしいと。
午後の草に落ちている雲の影はうつくしいと。
遠くの低い山並みの静けさはうつくしいと。
きらめく川辺の光りはうつくしいと。
おおきな樹のある街の通りはうつくしいと。
行き交いの、なにげない挨拶はうつくしいと。
花々があって、奥行きのある路地はうつくしいと。
雨の日の、家々の屋根の色はうつくしいと。
太い枝を空いっぱいにひろげる
晩秋の古寺の、大銀杏はうつくしいと。
冬がくるまえの曇り日の、南天の小さな朱い実はうつくしいと。
こむらさきの実の紫はうつくしいと。
過ぎてゆく季節はうつくしいと。
さらりと老いてゆく人の姿はうつくしいと。

 

一体、ニュースとよばれる日々の破片が、
わたしたちの歴史と言うようなものだろうか。
あざやかな毎日こそ、わたしたちの価値だ。
うつくしいものをうつくしいと言おう。
幼い猫とあそぶ一刻はうつくしいと。
シュロの枝を燃やして、灰にして、撒く。
何ひとつ永遠なんてなく、いつか
すべて塵にかえるのだから、世界はうつくしいと。