中之条ビエンナーレが開催されない年に隔年で行われている「中之条クラフトシアター」が中止になった。陶芸家・指物師・家具職人・絵描きなど、ものづくり作家たちが四万温泉に集まり、作品を展示するだけではなくお客さんとものづくり体験を共にすることにより、作品や作家に愛着をもってもらおうという素晴らしいイベントだった。致し方ない。
その参加作家は、度々僕がここで書いている「秋、酒蔵にて」というイベントのものづくり作家が多数重複しており、先日その秋酒メンバーでZoomミーティングをした。「秋、酒蔵にて」ももう11回を数えたイベントである。第一回目から参加し続けているのは多分2人で、昨年から加わった新しいメンバーもいる。「(昨年は前橋での開催だったので)以前展示していた中之条町の廣盛酒造はどんな場所だったか」という話になったので、かなり昔に僕が撮影した動画を共有で見た(Zoomはこの共有が便利)。参加作家が「宮沢賢治」をテーマに新作の器やオブジェを作った年だった。その映像の最後には
「宮沢賢治、享年37歳」(堀澤宏之)
「発酵だな!」(イベント代表・吉澤良一)
というかけあいがある。僕もすでに宮沢賢治の享年を数年越してしまったのかという感慨深さもあるが、「発酵だな!」という合いの手は意味がわからないと思う。当時、というか今もその界隈で、「発酵」ブームが地味に、長く続いているのだ。
世界には様々な物体があり、様々な菌がある。発酵と腐敗の違いは、人間にとって有用か有害かの違いらしい。それに対して人間を発酵に当てはめるなら・・それは円熟に似ているのかもしれない。角がとれて、深みが増すみたいな。僕自身は一部すでに腐敗をしている気はするものの、うまく発酵できている気はしない。
宮沢賢治があの若さであれだけの物を残したのは、1つには今より日本人の寿命が短かったから、という事もあるのだろうか。皮肉なことに、40歳という年齢と、コロナ禍の騒動の中に置かれることによってようやく、僕は残りの人生について〈ぼんやりと〉考えている。