4356声 28)怒り

2020年03月28日

優しさや寂しさだけが大切なわけではない。僕にとって遠くにあり、でも必要なものは「怒り」かもしれない。

 

仕事というものに対して甘えを持っていた(正確に言えば、今もある)。二十歳すぎた頃のバイト先は東京町田の大型レンタルショップ。レンタルビデオ担当だったので好きがそのまま仕事のような事もあり、普通に楽しく仕事をしていた。が、いつの頃からかお客さんに対しての割引サービスをアルバイトが使うような事が起きていた。今思えば、注意するなり、店にバイトへのサービスを要請するなり、色々やれることはあったと思うが、僕もなんとなくでその行為をスルーし、時々は自分も使っていた。それが幹部職員に知られ、関係していたアルバイトが全員、クビになった。

 

新規オープンと同時に僕らが働き出した店でもあった。本社直営だったので、幹部職員が売り上げが伸びないことにやきもきし、家にも帰らず残業し、ストレスが蔓延している気配も感じていた。クビを言い渡され最後のバイトの日。店長の「お前の事は信じていたんだけどな」という言葉は刺さったが、仲良くなったバイト同士のさよならもキツくてすぐに帰らず談笑していた。そこに店長が現れ、僕に対してキレた。

 

「こっちは命かけて仕事してんだよ」

 

今思えば、頭が切れてまだ若く本社から出向していた店長であり、その店の業績が自分のキャリアとも関係していただろうし、ごそっと抜けたアルバイトの穴埋めや、本社との間での彼のストレスも頂点に達していたのだと思う。ただ、今もその当時もその「怒り」に対しては、達観するとか、逆ギレするとか、そういうことじゃなくて「ただ受け止めるべき」だと思ったし、今も思っている。だから、僕は15年以上も前のその時の店長の顔を、今も忘れていない。

 

 

僕の親父は狭心症の手術などを行なっており、救急車で病院に運ばれたこともある。最後の入院の際には、心臓の手術は無事に終わったものの(本人もホッとしていた)、術後の病院での飲食の際に誤飲をし、そのまま肺炎のようなものにかかり、あっという間に亡くなってしまった。管に繋がれ言葉も言えない父親の姿も見た。ベットの脇に立ちながら、長女が怒った口調で僕に

 

「お父さんが何て言いたいかわかる?なんで俺はこんなことになってるんだ!って言ってるんだよ」

 

と言った。僕は何も言えなかった。そして父の葬式も終えてしばらくしてからふと、その行為が意味をなさなかったとしても、その病院に対して僕は「どうにか防止は、治療はできなかったんですか!」と怒らなかったのだろうと思った。すごく悔やんだ。医師からの状況説明は確かにあったが、それをそうですかと返事をしていた自分を、本当に馬鹿だと思った。自分の中の怒りに自覚的になること。そして時に無条件にそれを出すこと。僕にとっては、それがとても難しい。

 

だからその「怒り」は今も、僕の腹の底に静かに、留まり続けている。