4425声 雰囲気戻りつつ

2020年06月05日

今週は、昼飯に日高屋によく行っていた。その前は吉野家など、「屋」とか「家」のつくところにどうも足が向いてしまう。つまりは芸がないのである。しかし、そんな店も嫌いではない。近頃はどこへ行くにもだれと会うにもマスクをつけているので、平気だろうとタカをくくって、においなど気にせずW餃子定食などを平然と食べている。今日も日高屋で餃子などつまんでいたら、斜向かいの席の三十路がらみの営業と思しき男女が来て着席した。少し経って運ばれてきたのは、餃子と麦酒ジョッキである。ぐいぐい麦酒を空けていく二人に、平日の昼日中から呑めるとは、どんな仕事なのだろうと興味がわいた。よれよれの服を着ている私とは対照的に、スーツ姿の洗練された容姿である。そんな光景を見ていて、先日、堀澤さんが4417声の「雰囲気」を思い出した。該作の中に、「例えば、なぜ高崎には昼飲みの飲食店が根づいていかないかの理由も同じだろう。きっと、雰囲気だ。」という一節がある。都内の繁華街には高崎の雰囲気とは逆に、とくに夏場などは昼から呑める雰囲気が根づいている。物見遊山の観光客なども多いためであろう。緊急事態宣言の発令で、そんな雰囲気も絶えていたが、徐々にその雰囲気が戻ってきているようである。二人が二杯目のハイボールを注文している姿を横目に、店を後にした。