4452声 頑張ります

2020年07月02日

仕事の幅が少し広がってきて、ずっと1人での仕事が多かった映像やデザインの仕事もチームを組んで行う件が増えてきた。先日は、八ッ場ダムの記録映像でチームを組んだ北軽井沢人(ベテランフォトグラファーのTさん&日本有数のキャンプ場を経営するFさん)と、高山村の観光パンフ制作でチームを組んだ高山村人(移住コーディネーターも務めるIさん&自分の田んぼももつフォトグラファーのMさん等)を合わせる機会を作った。

 

高山村は、僕も仕事で関わるまでは「沼田への通り道」程度で車を降りることもなかったのだけど、農と自然に沿った生活を楽しんでいる魅力的な人が多く、特に若者たちに元気がある。彼女らの希望で、北軽井沢で自然と生きる思想を掲げながら事業を広げている先輩たちに話を聞く会だったのだが、見学は充実し、Tさんの山小屋での夜の宴会も盛り上がった。北軽井沢人と高山村人、ともに真剣かつ楽しそうに語る姿を見て、あぁ僕の適職はやっぱり「お見合いおばちゃん」なのだろうなと確信した。

 

その日、僕だけがTさんの山小屋に泊まり、翌朝は僕が味噌汁を作ってTさんを起こした。泊まった日の恒例である。朝飯を食べながら、ふと僕の今の仕事の話になる。彼は興味本位ではなく、まるで息子の現状を確かめる親父のようにストレートに話をしてくれた(実際、僕は親父が死ぬまで仕事や金銭の話をストレートにしたことはなかった)。「今の年収は」「あの仕事の単価は」僕からも逆に、彼が最盛期だった時の年収などを聞いた。Tさんは東京の商業写真の第一線にいたとはいえ、僕と8倍近くの差があった。「それじゃあ、結婚もできんな」とTさんが呟く。「頑張ります」と返事するのも幼すぎる気がして、僕はその返事をせずに、昨晩のことに話を切り替えた。とは言え嫌な気分はなく、何も隠さず向き合えるので、僕はTさんとの時間がとても好きだったりする。

 

「また来ます」と別れを告げ、車に乗ってからようやく「頑張ります」と呟いた。