4539声 この半年を振り返る〜世の中編〜

2020年09月23日

今年の3/28㈯、今でもはっきり覚えているが、いきなり土曜日の夜なのに街から人がいなくなった。3月になって徐々に減っていると感じていたものの、いきなり大晦日かと思うほど人気がなくなる。3/24に、オリンピックの1年延期が決定、3/25、志村けんさんが新型コロナウイルスに感染、この日から3日連続で、今まで10数人だった都内の感染者数が40人を超える。3/28安倍首相会見「長期戦になる」と発言、同日、都内の1日の感染者数が60人を超えた。そしてその夜、高崎の街から人がいなくなった。新型コロナウイルスが他人事ではなくなったのは、あの日から。さらに3/29、稀代のコメディアンであり生涯コント師、志村けんさんが亡くなった。恐怖は当然、私の中でも大きくなった。その後4月は感染者数が増え続ける。皆が持論を展開すればするほどすべてが決め手を欠くのは、皆が初めての経験だから。何がわからないかわからないという状況が、ひとまず全部止めよう、という雰囲気を作っていった。それでも5月になると感染者数は落ち着いて、とくに群馬はほとんど新規はナシという状況が続いた。4月頭に政府が発表した緊急事態宣言は、5/25に解除。けれども街に人は戻らなかった。都道府県をまたぐことをNGとする移動制限を要請したからである。もうこの頃には国民の行動様式は、コロナについて自分で考えて動く、ではなく、雰囲気に合わせる、というものになっていたと思う。そして一旦それを受け入れてしまうと、考えない、はどんどん人間の内部に定着してゆく。感染者数が落ち着いてきたこの9月の下旬でも、軽井沢の人気のない高原の木立の中で、皆マスクをしている。この同調力の強さを認識できたことが、結局、この半年で何がわかったのかといえば、これじゃないだろうか。この同調には、同調しないものを排除しようとする圧力と、同調してしまうことによる思考停止の肯定がついて回る。人間だから、それは日本だけでなく他の国でもそうかもしれないが、それがとても顕著なのが日本人だということが、この半年でわかった最も大事なことじゃないだろうか。コロナに関心があるうちに、コロナの動向と同じくらいの分量で、この日本人の性質について語られた方がいいと思う。コロナが収束したら誰も気に留めなくなるのだから。気に留めなくなって、何もなかったかのように同調圧力と思考停止の肯定だけが再び潜在化して、見えにくくなるのだろう。