4589声 夢を見るor見ない

2020年11月12日

東京都現代美術館では「石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか」展が開催されていた。僕はデザインもいくらか仕事としているし、映画は長い間見てきたつもりだが、沢田研二らを起用しパルコの伝説的な広告を打ち立て、晩年は夢の世界を完璧に具現化したような映画衣装で世界的に名をはせた石岡瑛子さんのことを全く知らずにいた。

 

「血が、汗が、涙がデザインできるか」というタイトルも秀逸だが、それを真に行くような凄まじさだった。人間、まず「自由に空想する」ということも難しいのだが、その隅々まで空想したものを「現実のものとして形に残す」所業。シルクドソレイユやビョークなど、空想を具現化したようなグループ・アーティストからラブコールを受けて仕事をしたというのも納得だった。

 

これを読んでいる人で「行ってみようかな」と思う人がいたらネタバレになってしまうので読まないでほしいのだが、個人的に一番ぐっときたのはその膨大な量の華々しい展示の最後を飾ったものだった。それは、石岡さんがこどものころ、(ここはうろ覚えだが)戦争の疎開先で書いた、将来の夢を描いたノートだった。そこには子どもにしては表現豊かな、でもやはり幼稚さを残す絵にまざって彼女の夢が書かれていた。「将来は世界を飛び回る仕事がしたい」というような内容だった。

 

まだ何の肩書きもない少女は、地方で夢を持っていた。それから生涯、きっと死ぬ直前まで、彼女は走り続け夢を叶え続けた。そのはじまりと、終わりのない表現に、強く胸を打たれた。