4673声 あの時遠くに見えたものは

2021年11月20日

イベントを撮影していて、それは夜間におよぶ撮影だったのだけど、スタッフのYさんが「今夜は友人も来るのでうちに泊まる?」と言ってくれた。すんなりと受け入れ、ご友人とともに晩酌までご馳走になった。

 

朝、起きるとそこはちょっとした平原地で、少し先には森、一面を清々しい空気が取り囲んでいた。毎日の習慣だというラジオ体操にもお付き合いする。そしてふと、この朝はあの時の綾町の朝に似ていると思った。

 

映画学校の学生時、宮崎県綾町の「賢治の学校 綾 自然農実践場」を長期取材した。宮沢賢治の思想をベースに児童教育を行っていた鳥山敏子さんの賢治の学校が、自然農に特化して作った施設で、僕はその施設の仕組みを取材したくてというよりは、そこに暮らしていた若者たちに興味があって、卒業制作の場としてそこを選んだ。そこに暮らす若者は皆が皆農家を目指しているというわけではなく、むしろ元いた場所の息苦しさからそこにいる人、そこにいる人たちが家族同然だからいる人など、正面をきって人生に迷っている人たちが多く、今思えばそこで彼らと協働する大人たちは大変だったろうなと思うけど、年も若かったぼくは(自分自身も人生に迷っていたので)親近感を持って彼らと接した。

 

朝になると、1人また1人と起きてきて、太陽浴をしたり、野菜を摘んだりする。自然豊かな綾町のさらに山奥にあったその施設の周りもかなり広い平原であった。ちょっと遠くには別の施設が所有する馬も見えた気がする。映画学校時、相模原市の狭いマンションに暮らしていた僕は、その平原の朝をとてつもなく綺麗な朝だと思った。その時の自分が新しくなる感覚、は今も体の奥に残っている。

 

数年前、ふとした懐かしさで「賢治の学校 綾 自然農実践場」を検索したら、その場所は2016年でその役目を終え閉じられたようだった。さすがにそれから倍くらいの年齢を生きてしまったので、今回そこまでの感覚を覚えたわけではない。けれどふと、どういうわけか、20年近く前のあの時の朝を思い出していた。あの時、遠くに見えたものは、1つには別の施設が所有する馬であった。けれども、その大部分は「憧れ」であったのだと今は思う。