5022声 走れメロス

2022年02月07日

 

鶴のひとこえの執筆陣は、みな酒呑みである。
なので、よく酒の話が書かれている。
わたしも酒呑みの端くれとして、酒の話を書きたい。
しかし、自分のことを書いても面白くないので、今日は、太宰治のことを書いてみたい。

太宰は、酒呑みだった。
いまさら言うまでもないか。

「酒ぎらい」というエッセイのなかで、
「・・・そんなに呑みたくもないのに、ただ、台所から酒を追放したい気持ちから、がぶがぶ呑んで、呑みほしてしまう・・・」
だから、
「ふだんは家の内に一滴の酒も置かず、呑みたい時は、外へ出て思うぞんぶんに呑む、という習慣が、ついてしまったのである。」
などといっている。共感しかない。気をつけよう。

ところで「走れメロス」は、そんな酒呑みの太宰の実体験が、作品に昇華したものだ。
世にいう「熱海事件」、または「檀一雄置き去り事件」がそれだ。作品の中の太宰(メロス)は、友人のために走るが、実際の太宰は、檀を人質として置き去りにしながら、戻ってこなかった。探しに来た檀に見つかったとき、井伏鱒二師匠と将棋をしていた。
激怒したのは、檀一雄だ。メロスじゃなかった。
太宰は、血の気が失せて、オロオロと声も出なかった。
しかし、落ち着いたあと太宰は檀にこういう。
「待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね」
なんだか、カッコいい。でも真似するのはやめようとおもう。幸せな結末が想像できない。
というわけで、太宰はただの酒呑みではなく、その体験を素晴らしい作品にしてしまう天才だということがわかったのだった。