5100声 5100声

2022年04月26日

5100回目の投稿ってすごいな。僕は一通りは読みつつ熱心な読者ではないので(おいおい)5000回目の投稿は誰かと思ったら堀澤さんだった。

 

『ひとこえが5000声となった。2007年夏に始まって足掛け15年、最初は私堀澤が書いていてある時から抜井に変わり、抜井が一人で書いている時期が長くあった。最近になってすーさんと岡安さんが加わり、来月からは坂口さんも新たな書き手として加わることになった。鶴のひとこえはこれから5人で続けていくことになる。15年は長いのか長くはないのか』

 

いつも良いことを書くなと思いつつ、すーさんや僕が加わったのは「最近」ではないと思う。堀澤さん大丈夫か?・・・と心配したが、なるほど日頃醸造を行っている彼の中で流れる時間は、僕らと違うのかもしれない。

 

で、せっかくなので僕がいつから加わったのか頑張って探してみた。なんと2014年5月、つまり8年前の今頃だった(全然最近じゃないですよねー)。おそるおそる読み返す。

 

『外から見ると、この「日刊鶴のひとこえ」は、SNS最盛期において時代遅れに思える。けれど、日刊でここまで続けてきたことは驚きであるし、関心を持たなければ僕も引き受けていない。例えば、人気サイト「ほぼ日刊イトイ新聞」の糸井重里氏のコラムとの共通点である「言葉のみ」という事に、僕は感心をもっている。写真の添付もない。「めんどくさいから」というのが立派な理由な気がするが、それはあの二人が「言葉だけで何ができるか?」について地道に思考してきた過程、ととれなくもない。』

 

なんだか恥ずかしい。

 

『唯一心配なのは、僕はあの二人に比べて圧倒的に酒量が少ない。のんべでなくても書いていいのか?「日刊鶴のひとこえ」。』

 

その後加わったすーさんや坂口さんを加えても、僕が一番酒量が少ないと思う。でも8年も続けてはこれたのだ。日刊鶴のひとこえおよびめっかった群馬存続の危機が今までに何度あったかは知らないが、多分このまま「良い惰性」で続いていくのだと思う。もちろん、読んでくださっているみなさまあってのものです。

 

コロナ禍が落ち着いたら「数多なメディアがある令和の今、わざわざ日刊鶴のひとこえを読んでくださっている人」を集めた飲み会をしてみたい。呼びかけをして誰も来・・